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初回マガジン「私」とか「旅」とかとりとめのない話(『旅ドロップ』江國香織)
前走者のサークル情報成長主義者(中の人の「かじ」)さんからバトンを引き継ぎ、『だいある・だいありー・だいあろ~ぐ』のクリエイターの1人nanaが続きます。
さて、こちらは「『私』を探す」旅の場としてのマガジン。
そもそも「私とは何ぞや?」という一般的な哲学的な問いはひとまず置いといて、「私」を表す最小単位としてわたしが真っ先に思うのはその人の「名前」。
「nana」は本名をアルファベット表記にしただけのクリエイター名です。
でも誕生日に由来があったり、小学生の時に本名「奈」の漢字の意味を知ったときからずっと(漢和辞典の使い方の練習、学校で自分の名前を引きませんでしたか?)、名前には強いアイデンティティを感じてしまっているので、だからこそあえてアルファベットに変えちゃうくらい。
・「奈」は「からなし」という果樹を意味する漢字
・「奈」は本来「木」と「示」をくっつけてできた「柰(ダイ)」という文字
・「示」はお祈りなどの神事で使われる文字で、「大(木)」は大地をおおう大きい樹を表すことから、「神事に用いられる果樹」を意味する
小学生のわたしは特別な信仰みたいなものは持っていなかったけど、「神様に捧げるような生き方をしよう」ととても感じるものがあった。
だからこそ他の人の、本名の漢字でも単語のようなペンネームでも、いろいろ想像してしまいます。
先の「昼行燈」さん、「サークル情報成長主義者(中の人の『かじ』)」さんのクリエイター名も、つけた理由をとても聞きたい。
そして「旅」について。
旅は移動の家庭も含めたすべてが目的で、観光地化されてない地域の日常を訪れたりする
これを読んで(というか読まなくても)、わたしが「旅」と聞いて連想する本は江國香織『旅ドロップ』
一篇が3ページほどの短い旅エッセイ集です。
ここでの旅は、わたしたちが「旅」と定義するものを超えてしまっていて、それは「人生は旅です」とか「日常が旅です」とかそんなものじゃなくて、ラジオから手紙から動物から、具体的な日常のエピソードから著者が感じた「旅」の話。
そして読んだわたしも「それはまちがいなく旅だ!」と納得できるのもすごい。
そのてきぱきした働きぶりや無駄のない動作、落着いた物腰のすべてが好ましかったのだが、私が目を奪われた彼女の最大の特徴は、笑わないことだった。無愛想というわけではない。客が冗談を言えば、儀礼上かすかに口角を上げるくらいのことはする。が、それはあくまでも形であり、形にすぎないことを、自分にも周りにもあえて示しているかのような態度なのだった。でもその一方で、彼女はとても生気に満ちたいたずらっぽい目と大きな口を持っていて、家族や恋人といるときにはよく笑い、鮮やかな、いっそあけっぴろげといっていいような笑顔を見せる人に違いない、という想像ができた。
「旅」って、どこへ行くか?何を見るか?誰と会うか?どんな経験をするか?が重要ではなくて、自分が何を感じるか?がすべてで、どこへ行ってもむしろどこにも行かないからこそ感じることもある気がする。
今回の旅『だいある・だいありー・だいあろ~ぐ』という限られた場所でも、どこか遠くを!ではなく、自分のみんなの手元足元を見つめたい。
よく会う仲のいい人もいるけど、実はこちらのマガジンのメンバーはわたしはほとんどがほぼ初めましての人ばかり。
読み返してみると、まだまだ手さぐり感やらかたい感じやらは否めません笑
だからこそどんな偶然的な化学反応が起こるか、わたしは楽しみ!
どうぞよろしくお願いします。