昔から「名前」について思っていたんだな私は。
これは過去の私(2010/11/1)が書いた事。
なーんだ。昔も今も考えている事は変わらないなと思う。転載したいと想う。昔の私をどうぞお読みください。
現在の私が思ったことも書こうとおもいます。
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「夢からさめた世界は夢でした」
名前がない
私には名前がない
でも確かに存在している
確かに呼吸を繰り返し
今も感情の起伏を感じる
でも
私に名前はない
何故なら
名前をつけたがらなかったから
名前に縛られると
安心で安定するけれど
護ると 他を傷つけてしまうから
不安で不安定な中にも
優しい光が灯ることを
知っているのだと笑って
だから
私には
名前がないの
だけど
確かに存在しはじめ
私は成長してゆくの
変わるのが怖い
でも楽しくもあり
大切だと
大事にしたいと
願ってる
名前がなくても
確かに在ると
証明出来る気がするよ
って
ちょっぴり構えたその声に
私は優しく寄り添うわ
私はアナタ
アナタは私
私に名前はないの
だけど 確かに存在してる
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現在のkoedananafusiはこれを読んで何を思ったか。
書いた本人も何に名前をつけなかったか覚えていない。
でも、多分私の中で生まれた『感情』の誰かに名前をやらなかったんだろうと思う。
感情に名前をやらない。
それは『恋』とか『嫌悪』とか、そういうのに当てはめないってこと。
ただその色で、ただその香りで、ただそこに在って、ただ育ってる『そのままの何か』だ。
『名前』というのは便利。
『鳩』といえば大抵みんな『よく公園などにいるポッポと声を出し歩く見慣れた鳥』を思い浮かべられる。
でも…それは本当だろうか?と私は昔から思っている。そんな日記も書いている。
『鳩が本当に鳩かはわからない。』
と書いているし
『鳩を犬って呼ぶ人がいたら、その人にとって鳩は犬って名前。じゃあ…鳩って何?』
『鳩は自分の事鳩だと思ってない。名前がなくても生きている。人間と違って。』
とも書いている。
名前は便利だが、まるで鎖のようにソレを縛る。
私はソレを窮屈に感じているところがある。
名前は魔術だ。
結界で枷だ。
表裏一体。
ネットの世界では感じやすいかもね。
例えばだけれど、ハンドルネームは自分を護る。
しかし名前にイメージがついて、それが自分とそぐわないと枷だ。
役職名なんかは人によっては枷だろう。人によっては自分を護ってくれる。
『彼氏、彼女』とかね。
私の場合、名前は枷になる事の方が多かったんだ。
だからみんなの言うところの『夫』は『巣穴』
だし、役に縛られた彼氏達の事は『彼氏という名前の人』なんて言っていたのだ。
だからこそ、生まれたばかりの何かに名前をつけたくなかったんだろう。
その想いを残したくて上に転載した文を書いたのだろう。
今も昔も……あぁ、やっぱり『私は私』なのだと…そう思う…。