どっちでショー
古めかしい町の、古めかしいバーの、古めかしいカウンターで、古めかしいバーテンダーはシャカシャカとシェーカーを振る。
「ねぇ、エッセイでも小説でも構わないんだけれど、これから書くであろうもののことを妄想したことってある?」
女はグラスに注がれたカーディナルをゆっくりと舐めた。
私は少し考えたあとに
「あるかな。気がついたら女性読者に囲まれていたところまで、あるかな」
と答えた。
女は嬉しそうな顔して
「あなたとは素敵な世界が出来そう」
と言った。
私はめの前のグラッド・アイを彼女に傾けた。
「はじめまして。面白いお嬢さん」
そう、女とは初対面だ。急に話しかけてきたのだ。唐突に始まりはしたが、こういうのも悪くない。少し奇怪な方が人生は面白い。
彼女との会話の中でわかったのは、彼女が犬を飼っていること、近所の公園をその犬と散歩するのが日課なこと、この古めかしいバーは初めて来たこと。
年齢や、職業、家族については話さないので、もしかしたら「そういう関係」の人なのかもしれない。
私はとにかく、野暮な事は聞かずに、最初にふってくれた話題を広げることにした。
「君は、自分が書くものの事を妄想するのかい?」
「えぇ、もちろん。コメント欄まで妄想するわ」
「例えばどんなコメントが?」
「そうね、あれは麦茶について熱く書き上げたエッセイの妄想だったけれど、麦茶はやっぱり薬缶派の読者が多くて、なのに何時も馴染みの人だけが《水出しに限る。君はまだ麦茶を知らない》なんて書いてきたもんだから、コメント欄で論争が勃発したのよ」
「それは大変だったね」
「まぁSNSではありがちじゃない?少数派の意見って喉に引っかかった魚の小骨みたいな扱いされるもの」
彼女はやれやれといった表情をした。
妄想話だというのに、本当にそんな事があったのだと彼女の表情が語ってくるのが面白かった。
「他には?」
「たとえば、そうね… 友達に「コーヒー飲むだろ?」って聞いてね、友達は済ました顔で頷くのよ。で、すかさず「ブラックだよな?」って聞くの。友達は勿論、済ました顔で頷いて差し出したカップをひと舐めして真顔で「苦いな」って言うの。それを、知ってて、堪えきれずにクスクス笑って「ミルク足すかい?」って聞いたら「全ミルクを頼む」とか言ってくるので大笑いした。みたいな、この世に存在しないエピソードなんだけど、存在したテイで書いて、テンプレートみたいなコメントをたくさん貰うって妄想をしたりしてる。あ、勿論テンプレートなコメントもよく訓練された読者による高尚な遊びよ?」
「高尚な…ね。いいよね、そういう団結力ってさ」
私は古き良きインターネットの空気感を感じ取り、少し笑った。くだらないことに、全力であれることは素晴らしい。
「あなたの妄想も聞かせてよ」
そう言ってくる彼女はいつの間にか二杯目のカクテル、ピニャコラーダを舐めている。
「そうだなぁ…」
私は古めかしい天井にさげられた、古めかしいステンドグラスのランプカバーを見つめる。
「私がお茶会に呼ばれた話を書いた時の事だけれど、実はとある意中の女性に読んでほしくて書いたんだ。まぁ、気持ちがバレるのは、なんていうか仲が良すぎて気恥ずかしくてね。君、茶葉占いは知っている?」
「えぇ。ティーカップの底に残る茶葉を絵柄として占うやつよね?」
「そう、それ。それに絡めて、少し話を盛って、彼女との秘密の会話を散りばめたんだ。きっと、読んだら彼女は何かに気がついてしまう。そういう気持ちがくすぐったくて、堪らなかった。…でもさ」
「届かなかったの?」
「いや、届いたよ。彼女と如何でもいい女友達に」
「あちゃー」
「彼女はもう一人の友達のことと思って茶化してくるし、どうでもいい奴は調子に乗るし、どっかの知らないおっさんは冷やかしてくるし、共通の友達なんてコメント欄をスクショして盛り上がってて……大変だった」
「可哀想」
「おいおい、そんなしんみり返さないでくれ。妄想なんだから。まだ、結果は解らないだろう?」
「もう、書いてあるんだ?」
「あぁ」
「それで、そんな悲しい結末にしちゃうなんて……思考がMなの?」
「いや、生粋のエ」
「なんか、本当に可哀想になるからそれ以上言わないで」
彼女は大袈裟な素振りで額に手を当てて頭を振った。
その後、フフッと小さく笑って
「本当に可哀想だから、コレ奢ってあげるわね」
とキスミー・クイックのグラスを渡してきた。
私はそれをぐいっと飲み干して溶けていった。
古めかしい町の、古めかしいバーの、古めかしいカウンターで、古めかしいバーテンダーは今日は静かだったなと空いたグラスを片付けるのだった。
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