もし赤色がひとつしかなくて《過去に書いたもの》
赤色を欲しいと思う人が5人いたら
どうなるんだろう。
誰か1人が赤色を手に入れるのかな。
それとも5人で分け合うのかな。
赤色が欲しい人からの視点なら
そのふたつがわかりやすい意見だとおもうんだけど。
なんかさ 5人で分け合えば仲良しで よかったね ってなる気する?
そりゃ5人はね。
仲良くわけっこして
よかったんじゃない?
じゃあ 赤色に気持ちがあったらどうするの?
赤色には赤色の主張があって
誰のモノにもなりたくないかもしれないし
誰か1人のモノになりたいかもしれない。
どの道が一番幸せ?
選べるの?あなたは選べる人?
私は迷わず選ぶ人。
たくさんの気持ちが絡まることも
どこかで誰かが 我慢したり 傷ついたりすることも
一回きちんと受け入れて
それで
一番 私が大事にしたい気持ちを選ぶよ。
ひとつの事を考えるのに
色々な視点からみるようにしてる。
美術館に飾られる絵画だって観る人、角度、気持ち、その時の混雑具合、他にも沢山の要素が混ざり合ってやっと心に落ちてくる。
さらには絵画から人を観たら?とか
絵画を修復する仕事をしている人から観たら?とか
絵画がみえる中庭の木の気持ちとか
その枝にとまる小鳥のこととか
それから 靴とかバック
あとは防犯カメラとかの物達からの視点とか
もう沢山 考えることがあるの。
あなたは誰を幸せにしたい?
あなたは誰と幸せになりたい?
選べば誰かはきっと違う道を歩かないとならなかったりするの。
でも 選ばなくてもみんなそれぞれが選んで誰かは違う道を歩かないとならなかったりするの。
私はそうおもってるよ。
だから選ぶ。
『わからない』も選ぶし
『どうでもいい』も選ぶ。
色々。
こうやって 色々 思うんだ。
誰かの言葉 や 観たモノ
気分や 季節
沢山の世界が私の世界を刺激して
あぁじゃない こうじゃないってするの。
たまに教科書みたいな人達を激怒させたり
なぜか涙をながしてもらえたり
仲良くなったり
対立したり
私さ 私だからさ
最終的には私なんだよ。
それはきっと揺らがないことで
あとはゆらゆらしてるのさ。
これは2013年の2/24に書いたよ。
飽きもせず、飽きもせず、流してる私。
ずっと見てる人は見慣れた私。
けれど初めてあった人にはきっと鮮やかな私