怒りや嫌悪感も大事である理由


セルフラブや自己肯定感について考えると、
まるでダメなとこも悪いところもなくそう!とか
全てを愛そう!みたいに思ってしまう時があるけどそんな必要って実はまったくないんだよね。


ネガティブな要素も排除しようとしたり目を背けたりせずに例え受け入れられなかったとしても
まずは一旦ただそれが存在していることを認める。

その後で、「ダメだなぁ」「嫌だなぁ」って
思うところを客観的に俯瞰してみる。←ここがすごく大事。

なぜそうなったのか?
何がそうさせるのか、観察してみると
自分の中にあった本来の感情に気づく場合が多い。

例えば、人に対して冷たく当たっちゃったり、
きつい言い方をしてしまったら、それは自己防衛のために生まれた行動かも、とか。
その人に嫌なことをされたり、言われたのかもしれないし、触れられたくない部分を守っただけかも。

怒りや嫌悪の感情って、それだけを見るとネガティブに感じるけど実は自分にとっての大事なもの、譲れないものや、価値観を知るためのツールになったりする。

例えば、ダイエットをしたいのに食べすぎてしまう意思の弱さの下にはストレスや疲労が含まれているかも。疲れていて脳が糖を必要としていたのかも。もしくは、大好きな食べるという行為を突然闇雲に禁止にして、反動が起きてるのかも。

“嫌い“を継続することも、 "好き" を殺すことも実際、相当難しいことなので、脳はそれを上手く処理できないよ。それができない自分を責めるのはあまりにも酷すぎはしないか...

例えば、時間にルーズだったり、約束を守れないとき、本心はそれをやりたくなかったり、
乗り気ではない心の声を見過ごしていたのかもしれない。仕事に意欲が燃やせないのは、苦手な仕事や不向きなことやっているからかも。やりたいことが別にあって、無理にやっているからかも、とか。

やりたくないことに意欲を燃やしたり、行きたくない場所に無理して行くこと、単なる我慢や忍耐を努力とは言わないよ。

それは自分の心を殺して、消耗してしまう。

そうやって心の声に耳を傾けて知ることで
不必要に「自分はダメな人間だ」なんて
自己評価やレッテルを張らずに済む。

そして自分の心の声を知るために
「ダメなところ」や「嫌なところ」が出現してくれたおかげで、自分は何がしたいのかな?何が好きなのかな?本心では何を思っているのかな?を、考えるきっかけになっていたと知ると
ネガティブな感情さえも大きな気づきやヒントのためにある、必要な感情だったことに気付ける。

雨降って地固まるように、
寒い冬を超えなきゃ春が来ないように、
一見したらネガティブな感情や現象も、ポジティブと表裏一体だったりする。

もしもね、自分の長所をあげるのは難しいのなら、短所を見つめてみればネガティブな側面から自分を紐解くことができるし、好きや得意を知る上でも、嫌いや苦手について明確にすることが実は近道だったりするよ。

自分の中にあるネガティブな感情、短所、苦手分野、嫌いなこと、そう言う部分を殺す必要はまったくないのは、そう言う意味。

「ダメな自分」「嫌いな自分」がいてくれてはじめて、「好きな自分」「良い自分」を発見できる。

そして、すごく思うこと。

「こうあるべき」「こうでなきゃいけない」これって自分の頭の中にしか存在しなくって
人の価値観、捉え方、見方次第でもよっても変わるくらい確証のないものだし、
たった一つの正解はどこにも存在しない。

あなたの常に一番近くにいるのはあなた。

自分の声に耳を傾けて聞いてあげれるのも、
一番の理解者で、味方でいてあげられるのも、
結局、他でもない自分自身だということを忘れちゃダメだよ。

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福井なな
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