
「わたし」を消費させず想いを届けるには?
以前、個人事業主として「わたし」を主軸に情報を発信し、サービスを提供していた。自分の体験や感情を積極的に開示することで、読者との距離を縮め、共感と信頼を得る。それが、わたしのビジネスの基盤だった。
日々の出来事から得た気づきを軸に、SNSやメルマガで文章を書く。でも次第に、この発信の仕方に限界を感じるようになった。なぜなら、何かドラマチックな出来事が起こらないと書けないから。幸せで平和だと書くことがない。それは結果として、自分で自分を絶えずジェットコースターに乗せ続けるような人生を選択することになる。
ちょうどその頃、別居していた夫と一緒に住むようになり「毎日を楽しく過ごしたい」という気持ちも強くなった。
自分のことを赤裸々に書かずに「伝える」ことをしたい。でも書きたいことは、すぐには見つからなかった。
そこで、ライティングの仕事をはじめた。経営者やドクター、各業界のプロフェッショナルの取材・執筆は年に100件以上、X(Twitter)の代行運用では、1,000投稿以上は作成した。
そのひとが事業で大切にしていることを聞き、伝えるための文章を書く。読み手と発注先の意図を踏まえ構成を考える。わたしのことではない、"誰か"の文章を書いた。
それによって、わたしの文章の書き方は変わった。一言で言うと、客観視ができるようになった。
それまでは「誰かのために」「伝わりやすく」「ペルソナはどんな人」とか言われると、窮屈に感じた。自分の伝えたいものが薄まってしまうように感じた。
でも、そんなことは起こらなかった。
わたしが代筆した文章でも、本人の思いはちゃんと届くことを数字と反応が示していた。
また「感情がのっている文章が良いもの」という、思い込みからも解放されたのも大きかった。大切なのは一時的な感情の起伏ではなく、その人が大切にしている思いや価値観だと気づいた。感情だよりの文章は、読み手の心を揺さぶることはできても、長く続けることは難しい。
その経験を踏まえて、また自分の文章を書くようになった。場所はThreads。ほぼ毎日投稿し続けて、半年たった。今は、40歳を超えた女性が美しく生きる"あり方"を軸に発信している。年齢とともに気力も体力も、見た目も変化していく時期。わたしも同じ年代だからこそ、背中を押すような、元気になれるような言葉を紡いでいる。
この方向性が定まり書き始めてから、1ヶ月ほどでフォロワーが500名ほど増え、今までとは違う多くの人とつながれた。
そのために、妥協したことや、誰かのためにわかりやすくしたことは一切ない。自分が思うことしか書いていない。
その理由は、単純に「わたしが表現するもの」と「わたし自身」の間に隙間ができたんだと思う。以前は100%一致していないと違和感があった。一致すればするほど感情を揺さぶる内容になる。つまり投稿が読み手に刺さる。
それは、自分の皮膚を削るような作業だったように感じる。そして消費の対象になり得る。今も自分のことは少しは書くけれど、そこに軸は置いていない。「わたしが大切にしていること」を軸にして、発信している。
それが今、とてもたのしい。
文章を書くのは中学時代の日記からはじめ、30年以上形を変えて続けてきたこと。ライターを専業にする前の10年間は、一般消費者向けの文章を書き続けてきた。商品やサービスの魅力を伝え、多くの人に届く言葉を探してきた。だからこそ、あらためて"書くたのしさ"を取り戻せたことがうれしい。
気持ちが明るくなり、視点が変わる。そんな文章を書いて、伝えていけたらと思う。
Threadsにて「40歳からの美しく生きる"あり方"」について発信中。ほぼ毎日投稿です。