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アンドロイドと恋しよう【テクノロイド オーバーマインド】

ワタクシごとですが、毒劇法にいい本の存在を教えてもらいました。それがまぁなんとも面白くてさっそくこれを教科書として一筆書いてやろう、ってのが先日のやが君記事ですね。とはいえまだまだ欲求は尽きるどころか増すばかり。次は何のアニメを見て感想書こうか……って感じで半日過ごしてました。

STOP 逆張り❗️

古の名作とか履修すべきかな……とウンウン唸っていてもイマイチしっくりこない。そもそも良さそうなアニメを発掘するだなんて、なんだか傲慢な気すらしてきました。やっぱせっかく見るならさ、ライヴ感大切にしたいよねってハナシっすよ。もう逆張りは辞めましょう!素直に、今やってるアニメで一番面白そうなものを楽しもうじゃないですか!

LET's 順張り❗️




ほいよ 
アンドロイド・アイドル・ホモアニメね



バーチャルからリアルへ

バーチャルアイドルのこと、好きですか?こんなものを読んでいる皆様に聞けば、大半は好き、まぁ嫌いではないと答えるでしょう。バーチャルアイドルといえば、初音ミクやミス・モノクローム(誰?)から続く由緒ある系譜です。彼女ら初期バーチャルアイドルの特徴としては異質さ、すなわち合成音声による歌声と(望ましくない)人間性(のみ)を排したキャラクター、が挙げられます。その異質な、しかしそれ故に圧倒的な存在感は凄まじく、バンプとミクちゃんのコラボMVを初めて見た時の衝撃と言ったら今でも忘れられません。あくまで若年層のオタクを中心にですが、彼女たちは広く受け入れられていました。

バーチャルアイドルはより自然で人間らしい方向へと進化を遂げました。近年最も勢いがある形態としてはVtuberが挙げられますが、彼女たちは殆ど「中の人」を前提として実在へと近づいています。アイドルの二大要素たる歌声とキャラクターについても、前者は当然私たちの聞き慣れた人間本来の声ですし、後者も便宜上の設定こそありますが、ほとんどは演者の人間性や他のVtuberとの「コラボ」によって後天的に規定された自然なものです。かつての異質さは薄れ、地上波(深夜枠から紅白にまで!)にも進出するなど、彼女たちは人々の生活に徐々に馴染みつつあります。(だからこそ異質な歌声と等身大の親しみやすさを兼ね備えた花譜ちゃんが圧倒的な支持を得ているわけですが)

さて、本作で取り扱うのはバーチャルアイドルではなく、アンドロイドとして描かれるアイドルです。彼らは作中世界に実在しており、我々の現実からもう一段階進化を遂げています。彼らはアンドロイドではありますが作中でも人間と認識されており、視聴者としても意識しなければそのことを忘れてしまうほどに人間らしい挙動を見せます。

作中では、あえて彼らの無機質さを強調するような演出でバランスを取っています。というより、腕や頭が取れる、細かすぎる発言をするといった、不自然なほどに古典的なギャグシーンが辛うじて彼らの非人間性を保証しているような印象すら感じます。また、アイドルアニメという媒体について回る、ライブシーンの3DCGが不自然になってしまうという問題点についても、むしろ不自然さの演出として転換されています。

主人公のコバルトさん
おかしいのはこのアニメだよ

初音ミクからテクノロイドへ、人間へと近づきつつあるアンドロイドですが、私たちはやがて訪れる「不気味の谷」を克服する必要があります。近年ChatGPTやAI絵師に対し噴き上がる嫌悪感は、まさしく彼らが不気味の谷へと差し掛かったことへのアレルギー反応に他なりません。だからこそ、本作はAIへの嫌悪感を克服する(=オーバーマインド)ためのヒントを提示せんと試みています。

ロボットがその外観や動作において、より人間らしく作られるようになるにつれ、より好感的、共感的になっていくが、ある時点で突然強い嫌悪感に変わると予想した
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/不気味の谷現象
ネオンくん かわいいね
このビジュで不気味の谷は無理があるでしょ

どれだけ人間に近づこうとも、アンドロイド(=AI)と人間とを分つものは確かに存在します。不気味の谷を超えて、異質な両者がどのように関係するか。本作が前半6話で示した共生モデルを振り返ってみましょう。

アンドロイドと人間で築く擬似家族

本作が前半6話で示したものはAIの可能性です。本作は仮想/拡張現実による体験、誤配により変化するAI、悪意に対する機械的な善意の発信など、インターネット時代のさまざまな可能性を提示し続けています。当項では第一話、第二話を取り上げ、AIと人間による擬似家族について検証します。

父を亡くした天涯孤独の絵空少年はコバルトらアンドロイドと運命的に出会い、共にありし日の想い出の場所を探します。アンドロイドの協力があって想い出の公園に辿り着き、父の愛を思い出します。第一話においてはAIの特性(検索能力、過酷な環境活動性)を用いて、血縁関係という従来型の共同体を支援するあり方が示されます(絵空は正確には養子ですが)。

ここ(胸)が変な感じになって……とか言うの
完全にエロいやつの導入すぎる

しかし、第二話ではその先のモデルが示されます。恩返しとしてコバルトらのアップデートを申し出る絵空少年。共に日々を過ごす中でかけがえのない愛着が生まれ、コバルトたちのアップデートが完了しても一つ屋根の下に暮らそうとの提案を受け入れます。従来型の共同体の支援に留まらず、むしろAI自身が新たな共同体の構成員となるあり方が示されているのです。

自然光の演出がライブの人工光っぽいのも映像的特徴

人間を支援する単なる機械ではなく、人間と対等の存在として接する。人間関係の物理的限界(=もはや誰もがアクセスできるものではない)を技術(=誰もがアクセスできる)によって突破せんとする、AIに対するポジティブな姿勢は本作において一貫しているものです。

第5話 死と悲しみを知るクロム
絵空は新教養主義的にそれとなく成長を促す

さらに発展して、本作はAIと高め合うモデルを提案しています。今回はアンドロイドによって絵空少年が救われましたが、以降の回では絵空少年がアンドロイドの心の成長を促します。私たちからAIに好意的に働きかけ、AIと共により良い存在へと変化していく。AIは決して画一的で不変的なものではなく、私たちと同様に変わり続けていけるのだ。テクノロイドはAI共生時代へのポジティブなメッセージを高らかに歌い上げているのです。

AIと大衆で築く共同体

前半6話ではAIとの共同可能性を示してきた本作ですが、打って変わって7話はAIと人間の対立が描かれます。AIの台頭により職を奪われたスラム街の人々が野良AIを虐待する、というシビアなテーマの回ですが、Detroit:become humanなどの先行作品でも同様の問題が取り扱われいました(アンドロイドに自我が芽生える瞬間を取り扱った"Detroit"をふまえ、本作では自我らしきものの存在が前提とされています)。あるいは現実世界でも、ChatGPTやAI絵師の台頭により人間からクリエイティブな仕事が奪われるというような否定的意見は少なくありません。AIとして彼らとどう向き合うかというのが後半の主題となるのでしょう。

ロボがおっさんを溶鉱炉に突き落とす名シーン
AI側からの悪感情も取り扱ってくれそうです

第7話ではコバルトらKNoCCのライバルとして、人間のトップアイドルユニットSTAND-ALONEが立ちはだかります。孤児院出身の彼らは、スラムへの支援によって大衆の信頼を得ており、同質故に助け合うという信頼の形を体現しています。しかし、同質性により担保される共同体は必然的に異質な存在であるAIの排除へと向かいます。

忘れてはいけませんが、AIは確かに驚異的ですが、しかし決して我々の敵ではありません。現にお掃除ロボットや音声翻訳、あるいは工場での不良品スクリーニングなど、機械化によって人間の労働力は大きく肩代わりされています。必要なのはAIを完全に排除するためではなく、AIの存在を前提として、彼らとうまく共生していくための戦略でしょう。

そんなこと言わんといて😭😭

AIと人間は決定的な種族差を超えて助け合えるのでしょうか。先行作品の"Detroit"において提示されたトゥルーエンドは、アンドロイド同士の愛情に人間性を見出し、世論が軟化していくというものでした。しかし本作では、アンドロイド同士ではなく、人間とアンドロイドの関係性によって世論を動かそうとしています。その実践として、絵空とKNoCCが築く特別な共同体が理想的なモデルとして描かれてきました。すなわち、絵空からKnoCCへと働きかけることで高めあい、共同体をより良いものに変えていくというカタチです。本作は人間という誤配の導入によるAIの変化、そして共同体の進化を好意的に主張しています。

しかし、このモデルの問題点としては、絵空とKNoCCの運命的な出会いが可能とした特異的な関係性(=Love)でしかないことが挙げられます。大衆と心を持たないAIからなる一般的な共同体は、持続可能な関係性(=No Hate)を築くことができるのでしょうか。作中において大衆がどのようにAIに働きかけ、新たな共同体を見出していくのか、テクノロイドが提示する結末から目が離せません。

この出逢いは 可能性
拒絶しないで LOVE NO HATE
予測数値を塗り替え
アクティベートする未来
"LOVE NO HATE"


(あの変な臓器提供ブローカーを仮想的として、人工臓器とか受け入れた方が犠牲減るよなみたいな消極的な受容の結末には至れそうですが、それ以上のものを期待してます)

追記
SFって敷居高くないですか?私なんかはまともに見たのは紅殻のパンドラくらいのものです。しかし、私たちの心理的障壁が薄れる暇すらなく、近年のAI技術は恐ろしいスピードで日々進化しています。私のようなオタクを含め、多くの人々はAIの「侵略」への備えができていません。

そのような状況で本作は、SFに不慣れなライト層のオタクに対しても非常にわかりやすく構成されています。さらに言えば、「男性型」アイドルを主役に置いたことで、SFからより遠くにいる女性視聴者に対してコミットしようという強い意図を感じます。

AIへの拒絶反応という問題点を機敏に捉えた本作は、女性向けアイドルアニメという的確な媒体を通じてどのような未来を提案するのでしょうか。本作の結末、あるいはAI時代の到来に、私は何か明るいものを見出さずにはいられません。

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