【企画】日本語業界のきっかけ~自分のターニングポイント~
新型コロナウイルスの影響で、さまざまな業界が大変なときですね。
日本語教育業界も大変な状況になっていますね。私の勤務先も新入生が入国できず大変です。イレギュラーな状況ではありますが、できることを考えながらやっています。こんな状況で直接会ってお話しする機会は減りましたが、その反面オンライで色々な方と繋がることができています。noteを始めたのも、その中の1つです。
こんな機会だからこそ、自分自身の原点を考えてみました。
大きなターニングポイントとなったのは、高校時代のアメリカ留学でした。留学していたと話すと、「多くの人は英語が好きだから留学したんですか」と聞かれますが、私は少し違っていました。英語の成績は正直なとこと良くなく、日本にいるのにどうして英語を勉強しなければいけないのか疑問でした。だから英語が嫌いでした。
私が進学した高校に交換留学生がいて、自分も海外で生活したいと思うようになっていました。そこで留学生の募集がきたとき、両親に1年間休学して留学したいことを話しました。特に反対されることなく、留学することができました。
Rotary clubの青少年交換留学生として留学することになりました。英語には全く自身がなかったのですが、Rotaryの方の考えは海外に友達を多く作り、友達のいる国とは戦争したいとは思わなくなる、それが世界平和に繋がるという考えでした。そのため、私と同期の友達にはメキシコやフランスといった英語圏以外に留学する友達がいました。留学すると周りに話すと「英語の勉強頑張ってね」と言われますが、私の中では英語はコミュニケーションをとるための手段だと考えていました。
頭の中ではわかっているものの、実際に留学してみると、英語が本当に話せず半年ぐらい大変でした。聞き取りができるようになっても、自分が言いたいことを伝えることができない日々が続きました。言葉の壁は本当に高かったですが、自分の殻に閉じこもることはしませんでした。何にでも挑戦するようにしていました。そのため失敗も多かったです。1年間ずっとホームステイだったので、ママの料理をするところにはいつもいて手伝ったり、高校のスポーツクラブにも所属したり、ホストシスターがいる家ではいつも彼女と遊んだり、ボランティアで英語を教えてくれるところに行ったりしていました。色々な人に手伝ってもらい、楽しい留学生活が過ごせたと思っています。お世話になった家族は、今でも連絡を取っていてアメリカは第2の故郷です。
その留学生活で1番大きかったのは、高校の日本語の授業のアシスタントをしたことでした。そこで日本人の日本語の先生に会い、日本語教師という仕事があることを知りました。日本人なのに日本語の説明ができないことに疑問を持ち、帰国してから卒業後の進路を考えていたときに日本語教師の勉強ができる大学に進学することを決めました。
留学時代にお会いした日本語の先生のおかげで、今の自分がいます。
英語が嫌いで留学した自分だからこそ、その経験を活かして働けると思い日本語教育業界にいます。
改めて自分が日本語教師になったきっかけを考えていると、色々な思い出が浮かんできました。また、別の機会に書きたいと思います。
載せた写真は、私が日本語教師として初めて働いたウズベキスタンの写真です。大好きな写真です。