十六夜俳句:公式審査員賞『七田賞』
363もの素敵なご句達を届けて頂き、ありがとうございました。
私なりに一つ一つ心をもって読ませて頂き、皆様の感性に唸り、笑い、憂い…様々な秋を感じさせて頂きました。
今回、審査員という事で選ばなければならない立場…
実はものすごく難しかったのです。
公式賞は6つ。
また、勝手ではありますが特別に最後に七田からの七賞…七田七賞も加えさせて頂きました。
しかしながら、ここでご紹介できなかった方々であっても、私が皆様のコメントに残した言葉達は、ご句だけを見つめ感じた私の本当の感想です。なので、賞としてではなくとも受け取っていただければ光栄に思います:)
●七田賞発表の前に…
今回審査員のお話が来た時に、正直私で良いのかと本気で考えました。
私は俳句を初めて日が浅い者。そんな私が他の方々のご句を審査する側で良いのかと。俳句の良さも深みも…今大会の皆様のご句達で学ばせていたと言っても過言ではない程なのです。もっと分かりやすくお伝えすると、前回の鶴亀杯が俳句初参加、それまで詠んだ句は片手で数えられる程で、短歌に至っては初めて詠んだものをそのまま出したくらいです。もちろん、予選通過は前大会も今大会もありません。確かに多少しょぼんとはなりました…ですが、前大会に参加して これが「みんなの俳句大会」なのだと理解できたんです。皆が投票できるからだけではなく、皆が俳句を詠む事も読む事も好きになれる大会だからだと。
私が審査員…その時に主催者のかっちーさんがおっしゃってくれたんです。
「苗子さんはいつも通りで大丈夫」と。こんな人が審査員?!頭を傾げた方もいらしたと思います。でも、他の審査員の方々の名を目にした時に私は守られていると、私は私のままでも大丈夫とはこういう事なのだと分かったんです。様々な色を放つ素敵な方々が審査員として隣にいてくれる。こんな私でも、こんな私であるからこそくみ取れる物もあるのかも知れないと感じられたんです。ただ、私だから零してしまったものもあるかもしれません。予選通過に至らなかったご句達の中にも宝石がまだまだあるはずなんです。なので、しょぼんとしている方がいれば…こんな審査員だからしょうがないか!くらいに思っていただければ。ふふふ。その時の感性の在処や、在り方…心情だったり私の感性…俳句の達人ではないからこそ大きく響く部分があると思うのです。私なりに真剣に選ばせていただいたご句達。ボタンを押して「よしこれだ!」と言い切れる。その反面、こんな私だからこそ肩を落とされている方もいらっしゃると思うのです。ただ…沢山の繋がりと沢山の出会い、学びに楽しみ…参加された人すべてがこの大会からお持ち帰りいただけて、次の俳句大会に笑顔で参加してもらえると嬉しいなと心から思います。それが前大会で私がもらった一番素敵な「賞」だから。
俳句未熟者で、予選通過したことのない私…でも、今大会 笑顔で全力疾走させて頂きました。こんな私にも楽しみと学びを届けてくださった参加者の皆様、支えてくださった運営人の方々、そして私らしくいていいんだとほっとできる強い味方でいてくださった他の審査員の方々に 心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
参加された方々全員に感謝状も贈らせていただきたいと思いますので記事の最後で是非お受け取り下さい。
では、公式審査員七田賞を発表させていただきます。
各賞状が公式七田賞の講評の最後にあります、是非受け取って頂ければと思います。
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【七田六賞】
大粒の雨が地を何度も何度も打ち付ける度に、女郎花の小花達が零れ落ちる。女郎花は秋の七草に入る古くから日本で親しまれている花。小さな黄色の花をかさ状に咲かせる様がふんわりと女性的な優しさを醸し出すため、花言葉は「優しさ」・「親切」そして「美人」と付けられる程である。
雨粒にとめどなく打ち付けられ その花を滝の様に地に零すのを描き、あなたは何を想うのだろうか。
私はその光景から母性にも似たものを感じたのだ。小さな優しさが止む事もなく土砂降りの中溢れ出る…まるで、ずぶ濡れの子猫に傘を差し出すような。眉を少し悲し気にしながらも、決して口元の笑みは絶やさずに。
怒りもせず、攻めもせず…ただその雨を受け入れながら優しさを溢れ零す花を愛おしいと思わずにはいられない。「花のこれぼれし」と情景を届けているのだが、女郎花を想うほどに それがまるで女郎花にとっては「花をこぼせし」なのではないかとまで感じさせられる程である。情景を見つめると
「天が望むのならば、私の花を流しましょう」そんな声が庭の一角からそっと聞こえてきそうなご句である。
女郎花の散り花に他でもない「こぼれる」を掛けた歌人の感性に拍手を届けたい。
【七田五賞】
秋の澄み切った水、水底まで手が届きそうな秋水はその色を深青に染める。まるで水面に日本刀を入れながらすり足で進む様に、音も立てずに一直線に切り引かれる一筋の秋の波。水面上の能の舞台を見ているかの様な一連の動きは つぅーっと、波と取れぬ様な滑らかさで水面を滑りゆき、割る事の出来ぬはずの水を見事に一筋の波によって「割っている」のである。
ここで皆様にお聞きしたい。あなたにはこのご句に『音』が聞こえるであろうか?
波とは通常、風などにより水の表面に起こる高低の動きとされており、揺れも波になる。が、このご句の波は揺れでも盛り上がりでもない。私達が普段ざざっと音を立て「波」と認識している部類の波であるのだ。にも関わらず、音あるはずの波…私には一滴たりとも聞こえては来ない。
水を切り、波の裂け目をはっきりと描きつつ、音あるべき波を使って見事なまでに秋の静寂を詠んだご句だと感じるのである。
またこれは私の頭の中の解釈であるが、「秋波」これは美人の流し目の様な、媚びを売る冷ややかで艶めかしい目元という意味でもある。そう読むと女の視線を受けた瞬間に心にすっと入り込まれた様、心を奪われたその一瞬が私には感じとれもするのだ。
俳句とは、正解も不正解もなく、見方で様々な感性を受けられる所が面白く、深みとなるのではないかと思うのだ。
【七田四賞】
秋の冷たく透き通った空気を温めるように、茶の深い香りを纏いながら白湯気がふわりと宙を漂う。闇夜に浮かぶは十六夜。このご句を読んで私の背筋は少し伸びる様でも緩む様でもあったのだ。
再会がどんな人物となのだろうかと思考を巡らせる。
気が知れた深い仲の友であったのなら、縁側でふっと茶杯を片手に笑いながら、まるで欠けた月の隙間を埋める様に語り合うのだろう。茶杯に映る十六夜さえもゆらゆらと揺れながらまるで十五夜の様にまんまるに形を変えながら…。茶を口にする間の会話に痺れをきたし、茶はため息をつきながらその熱を下げて行き、友との「丁度良い塩梅の関係」さえも 杯の中に映し出してゆくのだろう。茶杯から上がる湯気でさえ 暖かな雰囲気を醸し出して見える。
長く想いを寄せていた人との再会ならばどうだろうか。背筋が伸びる。秋の冷たさを肌で感じながらも 真っすぐに凛と座るのだろうか。何処から会話を始めれば良いものかと、まずは十六夜の浮かぶ熱い茶をすすりながら、月と重なる少し欠けた自分の心に深い渋みを感じたりもする事だろう。苦い心が、湯気で霞むその視界に何故か救われている様な気もしては来ないだろうか。
十六夜の「欠け」が「再会の相手」によって様々な意味も物語も運び来る。そして茶の味でさえも。茶の渋み・甘みも、深みも薄きも…のど越しから茶の温度まで 全て『再会』によって変わり、『再会』によって全て味わうことのできるご句なのだと、そう深く感じてやまない。
【七田銅賞】
紺屋…藍染屋、がどこまでも連なる町には秋風にそよぐ藍染め暖簾。サラサラと風を泳ぐその様に、まるで空が同調するかの様にその色を藍色に染めて行く。はたはたと暖簾の靡く音だけが聞こえ、やがて紺屋町が空の藍に混ざりゆく。辺り一面が、闇でも青でもなく『藍染色』に染まった時、屋根の上に少しばかり覗く月は、ぽろりと夜空に落ちた欠片のように映るのだろうか…。和の藍色の町に光る月の欠片を目にした時…あなたならどんな気持ちになるだろう。
藍色の優しさに包まれながらも、白く曇る息に季節の移り変わりを感じ、キュッと身震いをして腕を組む…それでも見つめていたい町景色。ポロリと見つけた輝きに、思わず手を伸ばしたくなるのではないか。片目を瞑り、悴む指で月の欠片を摘まめば、大切な宝を「拾った」と…そう呟いてしまうに違いない。暖かな和の色と澄む空気…高い空の遠近も掴めぬ藍一色に出でる月の破片。昔にしか見れなかった秋の月の美しさを、まるで時の人になったかのように目の前にそっと見せてくれる。時計の針がこのご句を読む時にだけ巻き戻され、慶長の民と想いを重ね合えるのだと感じてしまうのだ。とてつもなく情緒豊かで、描写が美しいこのご句。時代を超えた秋の美しさを見せてくれた歌人は、もしかしたら実際に月の欠片を拾った事のある 本物の時人なのかも知れないと…一人笑みを零した事を小さく書いておこうと思う。
また紺野町は、実は日本各地にその名を残している。代表的なのが江戸の紺屋町。現在の千代田区神田紺屋町であるが、こんやまち・こうやちょう という名で今も昔の跡を見つける事が出来る。私の出身地茨城県水戸市にも紺屋町が存在する。あなたの住む場所にも、月の欠片を拾う事の出来る町が案外身近にあるかもしれない。地図を引っ張り出して、秋の夜散歩をしてみるのも素敵ではないか。
【七田銀賞】
人は何をもって人であるのであろうか…。自分が老いた時、残りし時間を何に注ぎ、どんな笑顔で在りたいのだろう。
このご句を読んだ時、真っ先に浮かんだのが 嬉しそうに微笑む老夫婦の姿であった。愛おしそうに果てしない花園を見つめ、「今年も綺麗に咲きましたね」と柔らかに口にする…そんな優しさに満ちた情景。人はいつ時も『育てる』事をやめない生き物なのである。幼い頃には泣き・笑い・拗ね・怒り・照れ…こうして沢山の感情を育て、青年期に恋を知り・恋に落ち そして愛を育てて行く。時を経て子供を育て、一丸となって夫婦・家族を守り育て、子供が巣立ち行った後にも 自らの経験を持って若い者を育て行くのだ。それは年老いて残り少ない人生の中でも同じ様に…大切な物を手の中で温め続け、芽を出しては微笑み、雪降れば抱きしめ…そうやって何かを育て続けて行くのではないだろうか。多分それは注ぐ愛情を持っている「人」だという証拠で、大花野を前にニコリと見つめ合う老夫婦の間には、溢れんばかりの愛情が映るのである。溢れる愛情を育てる事に注ぐ事が出来る者達…そして蒔いた種は、かけた分の愛情をちゃんと咲かしてくれるのだと知っている物達が、残りの人生に開花させたかった物。それらは咲き誇る花々となって目の前に果てしなく広がり、たとえ二人の今の人生に終止符が打たれた後でさえ、二人の育んだ愛情は毎年毎年、大花野に溢れかえるに違いない。そして大花野に一歩足を踏み入れると、秋風に揺れる花々の間から 夫婦のクスリと微笑む声がそっと聞こえて来る…そんな気がしてならないのだ。
皺のよった両手で集められた愛情が、果てしなく咲き散らされた大花野。
歌人はそっと…私達に残りの時を感じ考える時間を、素晴らしい手本をもって教えてくれたのだと、そう感じてやまないご句である。
残りの人生…長きも短きもあれど、育てて行きたいと思える「大切なもの」を…自分の「種」を、これからも探し歩み続けて行きたいものである。
そして…
【七田金大賞】
363の素晴らしい俳句達の中で、唯一私が講評を届ける事をせず、かつ今大会中一度たりとも頭から離れなかったご句である。
虚栗…イガ殻だけの、中に種のない栗の事を言う。要するに「空っぽの栗」である。
この句を読めば誰にでも情景はすぐに掴めると思う。実のない栗を木こりが手厚くそっと置く。。。暖かい落ち葉が敷き詰められる森、秋の温もりを届ける風など素敵な情景はすぐに浮かぶ…が、それだけである。だが、誰しもこのご句にある矛盾に気づくのではないだろうか。
一つは「木こり」と「栗の木の種」の関係性だ。『木を切る者』と 『切られる者の子孫』。この二つの関係の間に『手厚く』という何かしらの感情が割り込んでいるのである。これだけではまだ矛盾とは言い切れず、浮かべれば沢山の想いが描ける。栗に対する木こりの想いは何通りにも描けるはずだ。しかし決定的にこのご句が『描き切れぬもの』となるのには
二つ目「虚栗」という所にあるのだ。考えてみて欲しい。これがもし虚栗ではなく、普通の栗であったらどんな句になるのかを。
イガ栗を手あつく置きし木こりかな
もし上記の様なご句であったのならば、私はすかさず講評を届けたであろう。良く実ったな…そんな想いで愛おしく見つめる木こりの姿や、この栗の木を切る前に優しくその子孫を地に置くのだろうかなど、様々な想いと木こりの表情さえも描けるのである。
矛盾が生まれるのは このご句で手厚く置かれし栗が『虚栗』である所なのだ。
木こりが切り倒す木にも育たぬ空っぽの栗である。栗の木を切るか切らぬかに関わらず、何故木こりが手厚く扱うのだろうかと 矛盾はまさに手がかりのない「疑問」と、果てしなく広がる「想像」に繋がるのだ。
次に木こりの表情を描いてもらいたい。この十七文字に描かれる木こりの表情はあなたにはどのように映るであろうか。
多分皆嬉しそうに笑う木こりを描かないと思う。寂し気で 悲しそうな表情の中に優しさと愛おしさが見える…哀愁漂うやるせなさに 大切に想う優しくも厚い感情を感じはしないか。
虚栗を手にする木こりの周りに、じんわりと広がり見える想いが色となって染み出てくるように思うのだ。
何故に…虚栗にここまでの愛おしさと哀愁を感じる木こりがいるのだろうか。種なき果実を手に 木こりは何を想うのか。ぐるぐると巡る思想は休める場所を見つけられぬままに ひたすら歩き続けるのである。
するとふと、『何故に』を見出す事ではなく、ただそっと木こりに身を重ね、彼の想いの温かさだけにそっと寄り添っていたいと 『感じていたい』とそう気づくのである。解明する事でなく、ただただ『感じる』。
無理に想像の欠片を生み出すことは出来る。木こりは自分の赤子に会えぬままに 子を失ってしまったのだろうか…それとも今から切り倒す栗の木が賢明に残そうとした物、その中にあるのが空白だという事に想いを馳せているのだろうか。。。何を描いてもちっぽけに、そしてただのこじ付けにしか聞こえないのだ。
それはまるで、亡き画家の心の中を覗こうとしているのと同じなのである。そしてそれは永遠に「覗けない」場所であり、自分達に出来るのは、それぞれがこのご句から描く絵を鑑賞し、浸り、そして心でそれぞれに『感じる』事なのである。
じーんときた。優しい気持ちで溢れた。涙が出た。寂しい気持ちでいっぱいになった…ありふれた感想の様に聞こえるかもしれない。が、それがこのご句の一番の鑑賞の仕方なのだと思うのだ。
情景を見せる俳句。感情を届ける俳句。想いを届ける俳句。
沢山の俳句がある中で、このご句は考えられる全ての俳句を、読み手それぞれの心を写しながら 添い合ってくれるご句だと…言葉より、頭より、ただただ心で感じるご句だと…そうとしか思えない私がいるのだ。
もう一度 このご句を読んでいただきたい。
斧を地面に起き、両手で虚栗を優しく包む木こりを…あなたの感性を持って感じてみてはくれないか。
受賞された6名の皆様、私の心に響く素敵なご句を届けてくださり本当にどうも有り難うございました。
私の感性をもって感じさせて頂いたそのままの講評で、詠まれた意図と異なるものかもしれませんが、私が感じた素敵をそのままお持ち帰りいただければ光栄に思います。心より有難うとおめでとうを贈ります。
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そして…特別に設けた七賞。
実は予選選びで 私が選ばせて頂いたご句達で上位六位ではなかった物達もきちんと講評を届けたい…
そう思っていた私です。が、やめました。
というのは、講評を届けたいが為に 私の推した句だけを載せるのにとてつもない違和感があったからです。
ご一緒させていただいた審査員の方々
白先生、Dekoさん、亀山さん、プッククンさん、しろくまきりんさん…
皆さんの選ばれたご句達、どれもこれも私が納得できるほどの物達で、
審査員のどなたに選ばれた物であっても、私が選ばせていただいたご句であっても、予選を勝ち抜いたご句全てを、審査員が一つとなって選んだご句として受け止めて頂きたいからです。
審査員達の感性が重なり合ったご句達ももちろんありました。
そうでなかったご句だってありました。が、審査員一同、うんこれだ!そんな思いで予選通過作品に選ばせていただいたご句達です。
全てのご句に講評を届けよと言われたら、全てのご句に届けられる自信があると言い切れる、それほどの作品達。
なので、審査員『七田賞』として…予選を通過されながらも、私の中の上位六位には惜しくも入らなかった素晴らしいご句達へ…
同位七賞として表彰させていただきたいと思います!!!
【七田七賞】
(順不同):賞状が最後にあるので是非お受け取りいただければ光栄です:)
●とんぼ飛ぶ片側三車線道路 /せきぞうさん
●秋の雨ビリー・ジョエルと飲むコーヒー /らくぼろさん
●降り立つは旅路の果の刈田かな /k_maru027
●ちいさな手籠いっぱいの秋野菜 /チューダーさん
●艶肌の割れるのを待つ柘榴かな /歓怒さん
●白風や番号だけの墓標あり /KOMAさん
●月光るきれいな嘘で乾杯す /Minminさん
●新月やピエロは月を消したまま /やどかりさん
●運動会バトンはずっと笑ってる /旬くん
●さあれどもさもありなんと秋時雨 /マー君さん
●赤蜻蛉人も決まった道歩む /歓怒さん
●身震いし土帰る蟻穴に入る /しろくまきりんさん
●母還る生態系の薄紅葉 /Tsukikusaさん
●稲妻や宇宙の裂け目から一雫 /雪ん子さん
●朝刊のバイクの音や月白し /西野圭果さん
●曼殊沙華他界し続けていく日々 /春野恵さん
●泣きじゃくる吾子のこぶしや朝の月 西野圭果さん
●秋雲や大和飛鳥の長尾かな /緋夢灯さん
●産んでやる君の子供だタルトタタン /とのむらのりこさん
●糸杉やてっぺん僕の星月夜 /Riraさん
●芒葉や恋のちょっとで深手負い /緋夢灯さん
●筥崎祭り水笛吹けぬまま大人 /野乃さん
●秋の歌1/fゆらぎかな /雪ん子さん
●そっぽ向く私の背すら照らす月 /しちさん
●移りゆく想いも上弦の夢に乗せ /大橋ちよさん
●糠の隅忘れ去られた胡瓜かな /これでも母さん
●学園祭終わりの星が満ちている /たまごまるさん
●横たえる身体は白し秋の浜 /美味しい蒸しエビさん
●馬の子を秋の七草とりまけり /兄弟航路さん
●荒ぶ町にも見上げれば星月夜 /美味しい蒸しエビさん
●右折待つフロントガラス小望月 /井戸乃くらぽーさん
●三個しか採れなかったのさつまいも /Akkiyさん
●老農の深き一礼今年米 /鮎太さん
●亡き人の毛布の温み秋深し /チズさん
●秋の雨上がり昨日とちがう今日 /ふぅ。さん
●干柿や残り五問の参考書 /はねのあきさん
●水澄みぬ空真四角に開きたり /花風さん
●彼岸花愛撫を知らぬ乳房かな /てまりさん
●反抗期終わりコスモス園共に /はねのあきさん
●運ばるる棺の軽き秋の暮 /うみのちえさん
●液晶の動き止まらぬ夜長かな /ありっちさん
●君の背に鉄塔ヒヤリ後の月 /泥棒猫さん
●秋の果カメラのフィルム巻き戻す /林白果さん
●小春日やキリシタンの里は静か /見据茶(みすてぃ)
●マリンバの演奏会や秋涼し /Sazanamiさん
●秋夕焼けうじら豆腐をこねる我 /めっこさん
●秋風のせいで早退いたします /祐希さん
●芸術の秋におさめる運命を /詠み人さくらさん
●鳥渡るリハビリ室のアスリート /すうぷさん
●枝豆を鉢いっぱいに武勇伝 /うみのちえさん
●玉響のレゲエダンスの桐一葉 /ゆずさん
●ヒヨドリに残す無花果お静かに /夕凪遥さん
●悠々と回り道して秋の虹 /めろさん
●新宿でギターと座る星月夜 /テルテルてる子さん
●ラブレター届いたろうか月の夜 /Finnさん
●秋の雨傘持たぬきみ空みあげ /Moeさん
私の上位六のうちに入っていなくとも本選へ行かれた方、みんなの俳句大賞になった西野さん、そして鮎太さんのご句達もこの中にいるとは思いますが、私の『七田七賞』どうぞお受け取りください。
以上、十六夜杯 公式審査員七田賞でした。
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審査員七田賞を受け取られた方も、受け取れなかった方も…
参加してくださった全ての歌人殿へ。
あなたのご句を読ませてくださり、本当に有難うございました。
私から 『ありがとう』を贈ります:)
感謝状をどうか受け取ってください:)
素敵を届けてくださりどうも有難うございました:)
そして最後に…
みんなの俳句大会の方々…
素晴らしい大会に参加させていただき、本当に有難うございました:)
皆様も表彰させてください:)メダルの代わりです:)ふふふ。
これだけの素敵をここにつなげてくれてありがとう!!
皆さま素敵をどうも有難うございました:):)
七田 苗子
(以下 七田七賞受賞の方々のリンク:上記と順番が違うと思います…目が…チカチカして…もう無理って…(笑)悪しからず…)
ありがとう 十六夜杯!!!!
ご一緒させていただいた他の審査員の方々の賞はこちらからどうぞ:)
↓↓↓↓↓↓