焼き肉と泪と男と女
「うわぁ!このお肉、めちゃくちゃ美味しい!」
男は溢れそうな笑顔で必死に頬張った。
彼の名は、冨田佳輔。
当時21歳のイケメン俳優だ。
この日は、マツムラケンゾー監督の映画『吠えても届かない』の撮影初日。
海辺でのシーンを無事に撮り終え渋谷へ戻って来ると、すでに夕方近くになっていた。お昼ご飯を食べていないから、お腹はペコペコだ。
「お腹空いたね〜。」
「いやぁ、もうペコペコですね!」
「寮に住んでるんだよね?この時間に戻って、ご飯あるの?」
「いえ。無いです。コンビニでも寄って帰ります。」
あれれ。
それは、かわいそうに。
「じゃあさ、一緒に焼き肉食べに行かない?この近くに美味しいお店があるからさ。」
これからの撮影では、二人のシーンが沢山ある。今日はまだお互い探りつつだったが、食事して気心が知れると今後の撮影もやりやすくなる。
一石二鳥だ。
「焼き肉ですか?いいですね!行きましょう!」
こうして急遽、焼き肉屋さんへ行くことになった。
渋谷の名店『ナルゲ』は、焼き肉も韓国料理も、本当に美味しい。私が公私ともに利用する大好きな店だ。
「うわぁ!このお肉、めちゃくちゃ美味しい!」
冨田くんは、溢れそうな笑顔で必死に頬張った。
「それは良かった。いっぱいお食べ。」
モリモリ食べる若者の姿を見るとオカンのような気持ちになり、遠慮せず食べるよう促した。
私たちは美味しい焼き肉を頂きながら、これからの撮影のこと、仕事のこと、プライベートなことなど、あれこれ楽しく話をした。冨田くんは、とても礼儀正しく、謙虚で、夢に溢れ、素晴らしい青年であった。
さてお腹も一杯になったことだし、そろそろ帰るとするか。
私はチェックのために、店員を呼んだ。
それを見て、自分もカバンからお財布を取り出そうとする冨田くん。
「あ、いらないよ。今日は、おごり。」
私は年下の人と食事をした時は、必ずご馳走することに決めている。絶対に一円たりとも出させない。それが私の思う『カッコいいネェさん』だからだ。
すると、さっきまで和気藹々と話していたはずの冨田くんの顔が、急にこわばった。
「いえ!ダメです!僕も払います!」
あらぁ。何とキチンとした青年かしら。
でも、ここは譲れない。この私が、年下の子に払わせるなんて、有り得ない。
「いやいや、本当にいいんだよ。最初からご馳走するつもりで誘ったから。ほら、私の方が随分お姉さんだしね(笑)」
「いえ!ダメです!払います!」
「いいって。」
「ダメです!」
「いいんだってば。」
「絶対ダメです!」
おいおい、どうした?
頑なに払おうとするじゃないか。
私に奢られると、困ることでもあるのか?
はっっっ!
この、警戒するような目つき。
この、子羊のような怯えた表情。
もしかして、もしかして、
焼き肉を奢ってもらったら、
私に『抱かれる』とでも思っているのか?
「いやいや違うよ!そんなつもりじゃないから!」
しまった。これだと、まるでオッサンの口説き文句ではないか。
「あ、えっとね、えーっとね。要するに、私は年下の子を連れて行ったら、絶対にご馳走するのだよ。ほら、私は40歳でしょう?だから、大丈夫!」
「そんな、、、悪いです。。。」
冨田くんは、少し安心したように見えた。
「いやいや、いいのいいの。先輩には甘えなさい。私だって、先輩に連れてもらったら全部出してもらうよ。だからね、今払ってくれようとした分は、今度後輩を連れて行った時に使ってよ。」
「わかりました。ありがとうございます。ご馳走さまでした!」
冨田くんに笑顔が戻った。
いやはや。なんと恐ろしいことよ。
私もそんな風に思われる歳になったのか。
えぇえぇ、読者の皆さんが仰る通り、確かに私の考えすぎかもしれない。
冨田くんはただ単に、本当に礼儀正しかっただけなのだ。
そうだ。それだけの話なのだ。
しかしだ。相手がどう思ったにせよ、「そんなつもりじゃないよ」と言い訳をしておかないと誤解されるかもしれないと焦ったことは事実だ。
いやぁ、まいった。
ついこの間まで、しつこく誘ってくるエロジジィたちにどうやって対処しようかと悩んでいたのに、まさか逆の立場から考える日がやってくるとは。光陰矢の如しである。
世の中は、男と女がいるから面白い。しかし男と女がいる以上、いくつになっても悩みは尽きないものである。