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心の引き出しを開けて、声を届ける#私の仕事

私の仕事は、ナレーターです。
今は主に自宅録音でナレーションや朗読をお届けしているのですが、収録をする時、まず声を出す前に、私はゆっくりと目を閉じるところから始めます。
ちょっと変わっているかもしれないけれど、その時に心でイメージしているのは、郵便局の手紙やハガキの仕分け棚。私の中でその棚は、さまざまな感情が仕分けされているのです。ひとつひとつは小さいその棚の引き出しが、数えきれないくらいたくさんあるイメージです。

この引き出しは、収録する前にあれこれ開けられます。
「この文章には、この映像には、この引き出しかな?こっちかな?」と、まず声を出す前にイメージをしています。
実際の声の表現がもちろん大事なのだけれど、私の中でこの収録前の感情のイメージ時間がとても大事なもの。むしろ、この時間をなくしては私は声の表現ができない…多分、私なりの仕事スタイルなのだと思います。

引き出しを取りだして実際に声に乗せてみると、あれ、微妙に違った、ということもあります。例えば「楽しい」という感情の引き出しだけでも、何通りもあるんですよね。
じんわり心があたたかくなるような「楽しい」も、弾けるような「楽しい」も、ワクワクするような「楽しい」も。「楽しい」ひとつとっても、色々な引き出しがあって。開ける引き出しを間違えると、声の音の高さも、伝え方も、伝わるものも変わってくることを実感しています。

だから、自分の心の中にたくさんの「楽しい」や「嬉しい」「切ない」、さまざまな感情をストックしていくことが大切で。
私は小さい頃から感情を受けとり過ぎてしまうところがあって、そんな自分にほとほと疲れてしまうこともあるのだけれど、私は今、これまでの自分が味わってきた感情のストックに支えられながらナレーターをしています。

引き出しには、過去に自分が味わった感情だけではなくて、これまで経験したことのない想像の感情の引き出しもあります。例えば、人生の先輩方へ向けたナレーションを担当する時。「自分がこの年齢になったら、どんな心の動きを受け取りたいだろう」と想像して、自分なりの未来の感情を引き出しにそっと入れるところから始まります。

自ずと毎回、ナレーションを収録する時に自分自身と向き合うことに。でも、感情をそのまま声にのせるのではなくて、自分の感情をもう一人の自分が客観的に捉えて声にのせている感覚で収録しています。
「これを聴いた人に、これを見た人に、何を届けたいか」
そこにフィットするような声の表現をいつも模索していて。毎回違う引き出しを開けるし、これと言った正解がないからこそ、難しくて、おもしろいと
感じています。

まだまだ表現の引き出しが少なくて、自分に悔しい思いをすることもたくさんあるけれど、私はこれからも言葉と想いを「声」で届けるために、感情の引き出しをせっせと増やしていきたい。

そういえば、いつだったかの年始の目標に「感情のグルメになる」と書いたなあと思い出すことがあります。その年は悲しみも喜びも強く感じすぎて感情のジェットコースターみたいな一年で、「なんて目標を書いたんだ!」と思ったけれど、あの年の感情も、私の心の引き出しに大切に納められています。

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