子供を潰したくなかったから
不登校ビジネスに心がざわつく。
親は子供より優位に立て
見守っていても良くならない
学校に戻るしかないんだから
PRESIDENT Online の記事からはそう読めた。
もがいて足掻いて大粒の涙をこらえても、倒れ込む子供に学校へ行けと追い立てる。
家にいるほうが楽だから。そんな理由で不登校になる子がいるんだろうか。
再登校を急かすやり方を、子供本人が喜んでやりたがっているならそれでいい。でも、そんな子はいないはず。適当にやり過ごすことが出来なかった子が、追い詰められて不登校になるんだから。学校に行けなくなったその日のことを、忘れられないでいるんじゃないか。
再登校を強制し信用を失った大人には、子供はもう頼ったりしない。どうせわかってくれない人に期待なんてしない。
「学校に行かなくてもいい」
不登校の我が子を受けとめる、親の決意の表れに似てる。学校に行った方がいいことは、親だからこそ分かってる。親が悩んでいないと思うのか。学校に行くことで心を蝕むのなら他のやり方で進んでいこうと言っている。まずは心を休めようと言っている。何もしなくていいなんて、誰もそんなことは言ってない。
学校以外の安心できる居場所があれば、子供は息を吹き返す。不登校なのに学校の下校時間を異常に気にし、誰にも会わないよう過ごしていた息子にも笑顔が戻った。心休まる場所があれば人は生きていけるんだと、わたしは息子から教わった。
子供の人生は子供のもの。
親は助言や提案はできても、子供に代わることは出来ないから。
わたしも学校に行かなくていいと言った親だけど、子供の人生をどうでもいいと思ったことなんかこれっぽっちもない。こんなところで潰したくなかった。それだけだった。
不登校ビジネスで繋がった人とは一時、親と子供の繋がりは一生。「学校に行かなくてもいい」その言葉の重みはきっと、「学校に行け」よりも深くて慎重で、不登校を共に背負う覚悟の声。
惑わされずに生きていきたい。
子供の声を聞ける親でいられるように。