
自然と言葉 1 レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」より
わたしはその(自然を探検すること)なかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配事にであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。
地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。
(中略)自然がくりかえすリフレインー 夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさー のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。
自然の中にいると心が整っていく、これは私が野草の会を行うモチベーションのひとつになっています。
北鎌倉のお茶室で庭メンテナンスの仕事を始めた頃は、身の回りで起こっていた様々なできごとで、心が疲れていた時期でもありました。
モヤモヤした気持ちや悲しみや怒り、色んな負の気持ちが入り混じりながらも、広大な自然の中で黙々と手を動かしていると、ほんの僅かではありますが、心が自分の中心に戻るような感覚があるのです。
頭痛薬を飲んで1時間後には痛みを感じないというような、劇的な変化ではありません。1日数時間、1週間に1〜2回の、とてものんびりしたペースでしたけれど、それを1〜2年も続けていると、確実に以前の自分の心持ちとは違う場所にいることに気づきました。
それまでずっと主婦でいたことで社会的に自信がなかったのが、少しでも世の中の役に立っているという自負が生まれたことも、大きかったとは思いますが。
ステイホームの時期も、植物の成長は待ったなしなので、いつもと同じように仕事に出掛け、鳥の囀りが響き渡る大自然の中で過ごしていました。多くの人が鬱々としているときに、全く落ち込むことがなかったのも、自然と植物のおかげだと思っています。
自身にHSP的傾向があり、穏やかな空間と人との適度な距離の必要性も感じますので、下見の時間を含めた野草の会のひとときは私にとって至福です。
そして会を行うことが、自然を必要とする人に、自然と関わるきっかけや入り口となるのでしたら、とてもうれしく思います。
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