暇倫 付録「傷と運命」
『暇と退屈の倫理学』の文庫版には付録がついている。
タイトルは「傷と運命」ー『暇と退屈の倫理学』増補新版によせて
これが、電子書籍では、うっかりすると見逃してしまうような作りになってる。
だって、目次に出ていないのだもの!
「結論」のあとに「あとがき」がある。
「あとがき」を読み終えた後、どれくらい読んだかを示す◯が終わりからまだ、かなり前の方にあることに気づく。75%。
「あとがき」あとには「注」。
「『注』がいっぱいあるのね、ここもじっくり読まなきゃなぁ」と思ってスワイプしていくと、なんと!山ほどの「注」が終わった後に、
この付録がある。読みながら狂喜乱舞? 感動のあまり踊り出したくなった。
この付録を読んだことが、今回の企画の直接のきっかけだ。
もともと、「中動態」には魅かれていた。
これは、ジョアンナ・メイシーのワークと関連深いなぁと思っていたし、
一照さんの坐禅に通づるものもあるなぁと思っていた。
だけど、この「付録」が決定的だった。
「傷と運命」に書かれていることは、一直線に「グリーフ」に
つながっていた。
身体の痛みと心の痛みがどう、リンクしているのか、
痛みが和らぐために、他者が存在することに意味があるのではないか、
といったことが、問題提起として、むっちゃり、きっちり書いてある。
傷に気づくこと、傷の痛みに気づくこと、
だれかの傷に気づくこと、その傷が痛んでいることに気づくこと
こういったことについて、國分先生と語れたら、
とってもグリーフの見え方が広がるんじゃないかなぁと!
傷が癒えるってのはどういうことなのか、
傷を癒すとき、他者の存在はどういう意味合いを持つのか、
癒されたいって、自分外のところに期待する感じなのか、とかとか。
こんなようなことが、クリアになっていく…あるいは、
クリアじゃなくてもいろいろな見え方が現れてくるのかも?
なんて思いながら、peatixの申し込みをしょっちゅう、しょっちゅう、
チェックしている。
絶賛受付中ですので、是非!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?