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"歳を重ねる"の本質

「もう、歳なんか取らなくていいのに…」

子供の頃、大人の女性の誕生日に遭遇すると、大体の人は歳を重ねることを嫌がっていたのをふと思い出した。

今年、両親がともに還暦を迎えた。
私は遠方に住んでいるため、直接お祝いはできず。
年末には一度、彼氏との顔合わせ的な食事会は計画しており、そこで軽く還暦祝いもかねてごちそうしようかな、とは考えている。

その食事会で、いっちょ赤いちゃんちゃんこでも着てもらうか!!!と思ったが、両親はどちらも生真面目なため、冗談や目立つことをあまり好まない。
機嫌を損ねられては困るので、現在進行形で悩んでいる。


年齢は、人間に関わらず、動物、植物、みんな生きている限り重ねていくものである。

そう思う反面、実際には「あのときは高校生だったのに…」とか、「昔は病院になんてほとんどかからなかったのに…」とか思う自分もいる。

しかし、全員が平等に歳をとるのだから、そこに縛られる必要ってないな、と最近は思えてきた。

母の還暦の誕生日には、電話を少しした。
私「おめでとう。お母さんも、もう60か~」
母「60なんて、現実突きつけんといてよ、自分でただでさえ落ち込んでるのに…」

何に落ち込んでいるのかがわからなかった。
後から考えると先述の、年齢を重ねることをマイナスに感じる人たちを見てきたことで、母にとってもそれが"普通" で "嫌なこと" という刷り込みが原因かもしれない。



年齢は単なる記号にしかすぎない

夏木マリ

近年は、以前どこかで聞いた夏木マリさんの言葉が理解できるようになった。
もちろん、一般的な寿命だとか、無法地帯にならないために年齢制限付きの求人があったりとか、いち基準として年齢が必要な場面だってたくさんある。

ここで言いたいのは、自分が年齢を何かの言い訳にしている場合に、年齢を取り立てる必要ないんじゃないかな、ということ。

例えば、60代でスポーツなどの新しい趣味を見つけたり、80代でYoutuberになった方がいたり…
年齢に関わらず、まず行動に移すかどうかが全てだと感じている。

ただ、やはり健康があってこそなので、年齢に関わらずできること、難しいこと、得手不得手はあるけれども。

いったん試してみた結果、合う合わないの吟味は必要だが、やってみないことにはなにも始まらない。

もし、できないかもと感じたのであれば、
"どうすればできるのか"を考えてみることでそれが脳トレ的に、レジリエンスを高めてくれるはず。

誰しも歳を重ねていくということは、つまるところ、誰しも今この瞬間が1番若い。
現代技術ではタイムマシンはないし、逆行することはできないので、嫌でも進むしかない。
進むことしかできないなら、それが正解・不正解に関わらず、なるべく自分が心から納得できる選択をしながら進んでいくほうがきっと楽しい。

そう、ネプリーグのボーナスステージ、
"トロッコアドベンチャー" みたいにね。(伝われ)


いったん経験しておけば、それをちゃんと体験談として人に話すことができるし、自分の経験値としてストックされる。
経験に時間がかかるものもあるからこそ、早めに始めれば長く続けることも、合わなければ早めにやめることだってできる。

経験の積み重ねこそが、歳を重ねることの本質かも?
と近頃は感じているのでこのような記事を書いてみました。

常に成長できる可能性があると信じて、できない言い訳探しはやめてみよう。
と、過去にできない言い訳探しばかりしていた自分は思うのであった。


おっと、そろそろトイレに行きたくなったから今日はここまでしか書けなかったな~~。っと。それでは。


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