コロナ後遺症で消えてしまいたくなった話
コロナ罹患
6月頭にコロナにかかった。
検査をしたわけではないから本当にコロナかは確信できないけれど、味覚障害嗅覚障害があったのでコロナで間違いないと思う。
40度近い高熱に苦しんだ。熱は3日程で37度程度の微熱に落ち着いたが、
本当につらいのはここからだった。
倦怠感が尋常じゃない。日常生活がままならない。
5歩で届くトイレに決死の覚悟で向かう。
このまま一生寝たきりなのか、と考えもした。
体はもちろん、心も苦しくなっていた。
治す?消える?
もうこのままなら、治す努力なんてしないで消えてなくなりたい、とまで考えた。
どうしたら楽に消えることができるのか、検索までした。
ただその結果、楽に消える方法はないという現実を知ることができた。
治すにしろ、消えるにしろ努力は必須だった。
その現実にやっぱりか、と納得はしながら、努力しなくていい結果がなくて悲しくもなった。
どうせ努力が必要なら、後から選択肢を変えることができる”治す”を選んだ。
消えてしまうことを選べば、やっぱりやーめた、ができないと思ったから、、、たぶん。
画面酔いする体で懸命に情報を集めた。
ただ最初に分かったことは、コロナ後遺症に苦しむ人がどれだけ多いか、その数に関わらず治療法が確立されていない、診る医者の数が少ないということだった。
想像以上に努力必要かもなぁ、とぼんやり考えた。
いざ病院
コロナ後遺症患者をよく診ている先生をみつけた。
治療法は、針治療と漢方だという。
針なんかでこれが治るのか、と疑う気持ちがあった。
どれだけ風邪薬を飲んでも、どれだけ睡眠をしっかりとっても全く治る兆しがなかったので疑ってしまっても仕方ないと思う。
もうなんでもいい、本当に楽になるならと思い行ってみた。
まず予約でいっぱいで、当日診療は予約なんてとれない。
待ち時間を覚悟して向かった。
治療
数時間待って診察をうけた。
病院に行って、自分で症状を説明することができないと分かっていたので家で休みながら症状をメモしていたので、それを提出した。
問診が終わり、先生は頭に針を刺すけどいいか、ときいてきた。
なんでもいいからしてくれ、と思った。
その後、何か別の病気にかかっていないか検査をするとのことでレントゲンと採血を行った。
お会計をする頃には少し倦怠感が和らいでいたことを実感した。
治療後
処方された漢方薬を飲みながら、安静にする、疲れないように気をつける、
可能なら日光にあたる、などの医師の指示に従って過ごした。
倦怠感がだんだん和らいできて、あんなに遠かったトイレにも楽にいけるようになった。
座りながらであれば、果物をきることもできるようになった。
流動食を何とか食べていたレベルの自分がお肉を食べることができるまでに回復した。
体は資本だ、というけれど本当にそうだった。
これからも生きるのであれば、体は大事にしたい。