大正より現代まで。|社会脳の成立はいかに?
江戸時代以降。明治維新と戦後の二つの時期の中で、それまで大衆化されていなかった"知識"という資産。
それは、主に大正教養主義と戦後知識人のコミュニティの中で共有されていた知識資産が、近代化の狼煙と共にトップダウンで分配され始めたことを意味している。
欧米では、ユルゲン・ハーバーマスの成果である『コーヒーハウス』のイスラム圏からの伝来及び、それが浸透し議論の場となる文化的土壌があったが故に、19世紀後半の高度な知的生産ーマルクスやニーチェ、ヴェーバーなどの人文社会系。もしくはアインシュタインやプランクなどの自然科学系ーがボトムアップで起こり得たのではないか?
逆に、東洋文明圏においては、トップダウン型の知的生産構造故に、それが戦後のマルクス主義陣営の団塊化。及び、20世紀後半以降の日本や中国で見られる傾斜生産方式による経済の生産性向上と護送船団方式による労働者保護の両立が、高い経済成長率を伴ってうまく進行していたことに、歴史的連続性があるのではないか。
もちろん、この推論は知識社会学が保有する所与であり、他の所与も合わせて考えてみると、より漸進的な構造化が検討されよう。
以上の議論の端に加えて、こういったトップダウン型の知識生産構造故の利点としては、情報空間中のデータ圧縮に非常に有利な利点を提供している点である。
昨今、グローバル経済の有機的構造化(世界-国家-社会-個人の横並び化)により、既存の権力勾配(縦並び型の組織構成)に対する不信感について関心が持たれている。
政治的ナショナリズムの高揚感や反実仮想の出現は、それに対する消極的不信感の典型的表れであろう。
そういった場合には、あくまでもルールは守るが如何にしてそれを出し抜くか、というアンビバレントな社会的感情が噴出し得る。
情報の体系は、社会的感情の表れである。
なので、アンビバレントな社会的感情は、それに付随してアンビバレントな情報の体系までも作り出し、情報空間の拡大を図るわけである。
情報を1ビットあたりのセルだとすると、その体系は複数のセルから構成されるポリマーだと解釈できる。
1単位あたりの情報伝達及び電気的信号がポリマーを動的に組成する過程・パターンを想像してみると、後期チューリングの仕事である『チューリング・パターン』が途端に連想される。
そう考えてみると、複雑に拡大する情報、空間に対して、その情報をうまく調整し、要約するような存在は社会にとって不可欠だと思われる。それは社会をより滑らかに、情報のトゲを抜くために、どの物理空間にも存在し得る存在者として重要だと思われる。
個人的に、この存在を"社会脳"と呼びたい。
それに具体的に押し入って議論はしないが、昨今の大学機構の弱体化は、社会脳を経済システム及びソーシャル・メディア空間に動員し、絶えざる情報の拡大を調整する。
あるいは従来のトップダウン型の知的生産から、ボトムアップ型の知的生産へと舵を切る。
その一つの要になるのではないか。
あまりに楽観的な見通しかもしれないが、少しばかり考えたいアイデアとも思える。
↓アウトプット用にどうぞ!
近代化のトップダウンの知識分配を考えると、国家や地方自治体が情報を収集し、市民に向けて情報を提供する「知識コミュニティセンター」を設立することができます。これは、地域の人々が社会的な情報を簡単にアクセスできる場所を提供し、情報の格差を解消することができるでしょう。
グローバル経済の横並び化に対して、情報の体系を拡大するために、「情報拠点」を設置することができます。この拠点は、さまざまな情報を集約し、検索、要約、分析を行うことができる場所です。それにより、情報の多様性と利用性を向上させ、社会的な感情を調整する役割を果たすことができます。
チューリング・パターンを応用した情報の要約技術を開発することができます。これにより、膨大な情報を効率的に処理し、必要な情報を取捨選択することができます。例えば、検索エンジンのアルゴリズムを改良し、ユーザーに最適な情報を提供することができます。
情報空間の拡大を図るために、教育機関や自治体が積極的に情報教育を行うことができます。情報の正しい利用方法や情報リテラシーの向上を促進することで、個人や社会が情報空間をより効果的に利用できるようになります。
「情報相談センター」を設置することができます。このセンターは、個人や企業が情報に関する疑問や問題を相談できる場所です。専門のスタッフが対応し、適切な情報を提供することで、情報に関する問題解決の支援を行います。