《依存》の形式と変化。
人は何かに依存して生きている。
それは食べ物、飲み物、見る物、聞く物など。多岐にわたる。
単刀直入に、ここで提案したいのは、時代を経るにつれて、人間の依存の形式が"物理空間"から"情報空間"に移行してしまうということである。
活字印刷技術の基盤の上で、マルティン・ルターが福音を説いた16世紀の世から現代まで。
それ以前とそれ以降の世界では、人々の消費活動、会話形式、学問探究の様相までもが変質し、まさにニーチェが言ったように-運命が新たに書き換えられる瞬間であり、永遠に続く現実の開始点である-"正午"に我々は至ったのである。
情報空間の中で、時代はついに近代に足を入れる。
しかし、近現代史の正午は、人類について恨みも笑いもしたようである。
アラン・チューリングを中心として計算機科学が花開いた。フォン・ノイマンによる作用素環数理の実用化は、彼をコンピュータ設計にかりたて、いまやパソコンやスマートフォン、次世代量子計算機『京』を生み出し、我々の叡智を牽引してくれた。
とはいえ、この過剰な数理科学が、個人の不安を情報空間上で増幅させていることも事実である。
大脳の処理速度が追いつけないほどの情報量ーSNSの長時間使用、労働のデジタル化、オフラインコミュニケーションの減少などを引き起こし、ある意味で人を疲労させる-が毎秒あたり生産され、いまや物理空間を覆い隠すほどである。
人間がおもに物理空間で生きていた時代の"モノがない→神、権威に縋る"の依存形式が、"情報がない→計算機、SNSに縋る"という、新たな形式へと変化した。
故に、ボトムアップで生み出された情報にふるいをかけるとともに、社会行為論的には"情報が多すぎる→神、権威に縋る"という弁証法が生じうる。
つまり、物理空間では、有形資産がないために、それを分配する機構として権力が立ち上がっていた。
だが、情報空間では、本来、個人に対応する脳機能が行うはずの情報量の縮小を、絶えざる情報量の増加を背景に、社会全体で行うようになった。
つまり、社会内部の強力な相互作用なくして情報の圧縮はなされなくなったのである。
そこで、個人の依存と共に、権力の依存形式についても変化したと考えられる。
権力は個人の不安と欲望に根付くから、物理空間のモノ、カネ、ヒトが持つそれの代価として、情報空間では、知識、愛、個性などの形に変えられない資本に権力が寄生し、それを増殖させるよう振る舞うようになる。
逆に言えば、愛、知識、個性などの無形資産が、それを生み出すのが個人ではなく、社会全体になったということである。
つまり、情報の体系をみんなで分業して、社会全体で生産するようになったのである。
(もちろん、古代から知識や愛は二人以上の人に依存していたが、その範囲、あり方が多様化し、もはや一人ひとりが他の分野について知り得なくなったのは情報空間から。)
社会内部の相互作用は、個人に限定されていた事象の認知ベース及びホームグラウンドが、その情報量ゆえに情報空間だけでは支えきれなくなり、よって社会脳化することで溢れた情報量に適応しようとする。そのような集団機能である。
社会脳は、多くの人間が同時に存在しているが故に生じる集合知・暗黙知を含んでおり、権力勾配とも密接に関係している。
そこで物理空間の機能的な側面だけを棚上げしてみると、それが情報を"縮小"させる機能を持つことがわかる。
もちろん、物理空間では、先ほど例に出したような食べ物、飲み物などの商品が"拡大"されることにも特徴がありつつ、情報空間にとってはそれが絶えざる情報量を縮退させる機能を持ち得るのであろう。
よって、マルクスが説いたような"商品経済の疎外"があるとしたら、"情報経済の疎外"もあるということになる。
その他の概念についても、物理空間で適応されていたのであれば、おそらく情報空間でも適応できるのだろう。
《依存》の形式と変化。
欲望から経済学は生まれたが、依存は精神分析学が解体する。
依存の範囲が広がった今、それを指摘する"治療者"の存在はみじかに必要なのかもしれない。
↓アウトプット用に!
ブログ記事のタイトル:「時代の変化による依存の形式の変遷」1. 「物理空間」と「情報空間」の違いとその影響: 物理空間では有形資産が中心であり、権力が分配の役割を果たしていたが、情報空間では情報量の増加により社会脳の存在が重要となり、縮小された情報量を分配する役割を果たしていることを解説する。
2. アラン・チューリングと計算機科学の発展の影響:計算機科学の発展により、便利さと同時に情報の過剰な増加が生じ、人々の不安を増幅させることを指摘し、情報乞いの現象について考察する。
3. 「情報経済の疎外」とは何か:マルクスの「商品経済の疎外」に対して、情報経済の疎外も存在することを提案し、それがどのような影響を与えるのかを示唆する。
4. 依存の形式の変化による社会への影響:人間の依存形式が「モノがない→神、権威に縋る」から「情報がない→計算機、SNSに縋る」へと変化したことにより、社会の変化や個人の不安増大につながっていることを説明する。
5. 治療者の役割と重要性:依存の範囲が広がった現代社会において、治療者の存在が重要であり、依存の問題に対するアプローチや支援の必要性について議論する。