長編小説「ひだまり~追憶の章~」Vol.2-②
~雪解けの春@白馬八方尾根~
Vol.2-②
正午から午後4時までは、自分のためのスキーの時間だ。
インストラクターとして就業しているクリスマス頃から3月末までは、午前8時に出勤し、計4時間のレッスンの仕事以外にも、研修会などで拘束されて朝一番しか自由な時間はない。
シーズン始めやオフのこの時期は、居候の仕事がメインで、そこから解放されると後は全て、自由に過ごせる。
雪解けしたテニスコートで黄色いボールををラリーしている居候も居るが、私はスキーをしている事自体が好きなのだ。
ユニフォームを着てスクールで指導の仕事をするのも楽しいが、トレーナーにショートパンツという軽装で、夏間近の太陽を浴びながら滑るのも、心地好いのだ。
同じ旅館の居候達を引き連れて、ゲレンデに向かう時もあるが、たいていは独りで板を担いで繰り出す。なるべくフリーパス券の使えるゲレンデで滑る。幸い、私の利用出来るパス券は、大好きな黒菱の急斜面に在るリフトのものだ。
黒菱ゲレンデは、午後に成るともうコブ斜面が出来ている。白馬の急斜面を滑りに来るスキーヤーは上級者が多いので、ショートターン等で繰り返し滑り降りた後に溝が深まり、やがてコース取りの加減でギャップが出来上がるのだ。
ピステンで流して整地された急斜面を、思い切り良くパラレル大ターンで滑り降りて、足慣らし。その後で、コブ斜面に挑む。
コブのリズムに合わせるのではなく、ストレッチ系のジャンプターンやベンディング系のエアターン等も瞬間的に判断して駆使し、自分のショート・リズムで滑り降りる練習を繰り返す。また、コブの頭ばかりでターンをしたり、コブの谷ばかりを滑ったり細かいドリルもする。ストレッチングターンばかりで滑ったり、ベンディングターンばかりで滑ったりもする。無心に練習を繰り返す。
シーズンも終わりのシャーベット状の重たい湿った雪質なので、なかなか思う様には操作出来ないのだが、シーズンの締め括りにこれをやっておくと、来シーズン初めにパウダースノーの上を滑る時、早く感覚が蘇えって来るのだ。
好きな時に気ままに休憩を取る。そんな時の一服は、堪らなく美味しい。
時には宿から自分で作ったおにぎりを持参して、レストハウスでドリンクを飲みながら昼食を取る事もある。今日は宿で昼食を済ませてからゲレンデに来たので、ホットコーヒーでブレイクタイムにする。窓際の席を陣取る。
「美雪先生!」
顔見知りの別の宿の居候が、声かけて来た。
私に負けず劣らず日焼けした顔。彼はシーズン中に何度もスキースクールにレッスンを受けに来る程熱心なので、顔を覚えたのだ。先シーズン始めたばかりだと言っているが、なかなかどうして、もうパラレルターンが完成し始めている。OL女子に比べたら、男子学生は怖いもの知らずのチャレンジャーに診えるので、最後のSAJ検定で2級を取得するかもしれない。
ゴールデンウイークを過ぎたこの時期まで、残っている居候は少ないので、すぐに仲間意識が生まれる。
「美雪先生、あっちに亜紀さんが居るよ」
彼が指差す方向を向くと、スキースクールの事務所で経理をやっていた亜紀が手を振っていた。
亜紀も先シーズンからこの白馬村に住み着いている一人だが、仕事を離れた所でもプライヴェートな相談もし合う仲になった。彼女が三つ年上な事もあって、私は何かと勤務時間外には頼りにしている。
亜紀も、ナイタースキーの時間に個人で特訓のアドヴァイスを私らから受けて、今シーズン2月に2級を取得した程の上達を見せた。
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