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長編小説「ひだまり~追憶の章~」Vol.2‐①

Vol.2-①

 コロコロ、、、と鈴を転がすようなデジタル・アラームの音に、気づいた。天井を見つめるのを止め、ゆっくりと上体を起こし、四つんばいに成って這って行き、わざと布団の足元に置いてあるアラーム音を、鎮めた。

 低血圧で寒がりな私は、冬の間布団から抜け出る事を億劫がる自分を、そうやって無理やり起こしていた。
 が、最近目覚めが良い。春になったせいだろうか。ゴールデンウィークも過ぎて、朝晩の冷え込みもなくなった。窓から差し込む朝の陽射しも心地好い。しかし、今朝の目覚めには訳があった。

 つい数分前まで、弘也の腕の中に居た。夢の中の事だ。
 弘也に背中から抱きすくめられながら、私は、遠くで立ちすくんでいる見知らぬ誰かと見つめ合ったいた。
 いや、見知らぬ男性ではない。知っているのだが、名前もどこに住んでいるのかも判らないのだ。確かに覚えがある。だけど誰だか知らない。三人共身じろぎさえしない。
 見つめ合っている彼が、少し悲し気な表情をした。私は彼に向って『待って』と声をかける。彼は手を振り去って行った。
 ただそれだけの、変な夢だった。

 私は窓の外を眺め、誰だっけ❓と考える。思い出せない。
 まっ、いいっかぁ、と思い直しデジタル時計を振り返った。

 いっけなぁい!もう6時40分や!!

 女将はもう、宿泊客達の朝食の支度を始めている頃だ。私は慌ててTシャツを着替え、スウェットパンツを履き、階下の厨房へ降りて行った。エプロンを身に着けながら、女将に声をかける。

「おはようございます」
「おはよう。よく眠れたかい❓」
「はい。寝坊してすみません」
「良いのよ。美雪ちゃんは良くやってくれるから、たまの事なら許してあげる。それより顔洗ってお化粧してきなさい。美雪ちゃん目当てでこの宿に泊まりに来るお客さんだって居るんだから。貴女は紅一点の居候なんだからね。身綺麗にしててね」
「はい」

 私は素直に頷いて居候部屋に戻り、アルマイト洗面器とスキンケアセットを抱え、洗面所に向かう。
 窓の外を眺める。八方尾根のリーゼンスラローム・コースも雪解けして、緑色の絨毯を広げ下ろしている。滑走可能なコースはもう、黒菱ゲレンデより上だけとなった。

 今シーズンはもうそろそろ、潮時かな。。。

 部屋に戻ってファンデーションを塗りながら、ふと、今朝の変な夢の事を思い出した。
 あれは誰なのだろう。どこかですれ違った人かな❓レッスンの生徒さん❓TVで見かけた人だろうか。これから出逢う人だったりして。。。

 だったら嬉しいな。好みのタイプやもん。

 注意深くアイラインを引き、眉を整える。オレンジベージュ系のルージュを丹念に引き、上唇と下唇を馴染ませ、鏡を覗き込む。ニッコリ微笑んでみせてから、よし!と掛け声をかけてエプロンの紐を結び直し、階下に降りて行く。

 今日も一日、好い日でありますように。


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