#4 読書の秋

先日「小説を読むことは好きだが、内容をよく咀嚼して、主人公の葛藤を自分も感じて、きちんと納得してから続きを読む。だから一日数ページずつしか読み進められず、一冊読むのに何ヶ月もかかる(要約)」というネット漫画の一コマに出会った。

なんて素敵で、それでいて頭を使う読書なんだろうと感じた。

学生時代から、読書は好きだ。
だが、いつもいつも読んでいるわけではない。
毎年、「本を読みたい」時期が訪れる。
その大体は晩秋で、そこで私は一年分の読書をするといっても過言ではない。

私は、作者が何ヶ月も、あるいは何年もかけて書いた作品を、早くて一日、長くても一週間ほどで読み切ってしまう。続きが気になって仕方なくて、つい夜更かしをしてでも読みたくなってしまう性分なのだ。

個人的には、それも読書のひとつの楽しみ方なんだろうと思う。だが歳を重ねるにつれて、「読んだはず」の本の内容を「覚えていない」ことが増えた。文庫本を買い揃えた有川浩の『図書館戦争シリーズ』の結末もぼんやり霞んできちんと思い出せないし、『ナルト』も全巻読んだはずだが最終回あたりで泣いたことしか思い出せない。本当にこれでいいのだろうか。

いくらスピード選手であっても、咀嚼がうまくできないとせっかくの養分も吸収されずに排出される。上記の二作品も私がうまく噛み合わなかっただけで、きっと他の誰かにとっては後世まで語り継げるような傑作であるということは間違いない。あるいは、あと何度か「読み返して」いれば、もっと違う定着の仕方があったのかもしれない。

では逆に覚えている本とはなにか。

前述の有川浩の作品『海の底』である。
文庫本になったとて一般書籍の3〜4倍はあろう分厚さで、一度読み切るだけでも相当な体力が必要だったはずなのだが、私はあれを5回は読み直している。もちろん一字一句覚えているわけではない。が、要所は捉えているし、要約しろor感想文を書けと言われたら、書ける。最後に読んだのはもう5年以上前になると思うが、それでもそのくらい記憶されている。

自身が甲殻類アレルギーだということもあり、巨大化したエビが襲ってくるという世界観に人一倍興味があったことは否めない。だが、実際には起こり得ないとわかっていながら、登場人物たちの細かな心理や刻一刻と変わりゆく状況の描写が秀逸で毎度心を揺さぶられる。あの文章量でありながら読者を途中で離脱させない作者の技量には頭があがらない。

きっと今年も訪れるであろう「読書の秋」
読んだ本を記憶に定着させるには「①何度も体験する」か「②衝撃的な体験をする」、もしくは「③深淵部まで理解しピースをはめる」の3パターンがあると考えている。

まだ、③で定着した記憶は、私にはないように思える。
これから先の生活の中でできるようになるだろうか。
もしそれができた暁には、「忘れないうちに」noteに記すようにしたい。

p.s.私が読書で「②衝撃的な体験」をして記憶に定着した経験は実は一度だけだ。
ホリー・ジャクソン作、服部京子訳の「自由研究には向かない殺人」からの3部作である。こちらも1作ずつが長編で、特に2作目までは、伏線なのかと思いきや特に回収がないような、一見すると蛇足な描写が多いような気がしていた。だがそれも表題に「自由研究」と付いている作品ならではか、と一種のリアリティーも感じた。もちろん1作目単体でも充分に楽しめたし、実際、私も1作目が面白かったから残りの2作も読んでいる。それがどうだろう。3作目を読み終える頃には全ての描写に意味があったのだとショックを受けた。そしてあの膨大な文章の中で、「そういえばそうだった」と、ちゃんと読者の頭のどこかに引っ掛からせたままでいた作者及び訳者の緻密で精巧な組み立てに敬服する。3部作全てを読んだ身からすると、もしかすると、1作目で読了した方が気持ちよく終われるのかもしれないと思わないこともない。が、やはりあの1作目を読んでしまうと、なかなかそうもいかなくなるのがこの書き手たちの手腕である。

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