「何もしない」をしてみて
昨日(8月5日)、私は本当に何もしなかった。何も。毎日夜中に更新していたnoteを上げるか迷ったが、意思を持って上げないことにした。
やることは山積みだ。卒業論文の準備、家庭教師の添削、明日の家庭教師の準備、明後日のアルバイトの準備…
だけど何もしなかった。ずーーーっと寝てた。
理由は特にない。マジでシンプルに怠惰だ。起きたら14:00だった時点でまずいかな?と思ったのだが、ネットサーフィンをしていたらいつの間にか寝ていて、起きたら18:00だったとき、「今日はもう何もしないことにしよう」と決めた。
考え事もせず、ただただぼんやりとSNSを周回して寝て…を繰り返した。
ご飯も食べなかったので今めちゃめちゃお腹がすいている。辛い。
そんな「何もしない」をしてみた訳だが、学びは色々あった。
・全然回復しない
・焦燥感が凄い
大きくわけてこの2つだ。
1つ目については私も驚いた。
実は最近、日雇いのアルバイトや家庭教師を沢山こなしていて、かなり疲れていた。
今日1日何もしないことで体力が回復するかと思ったのだが、全くそんなことは無い。ベッドが古いのも理由の一つかもしれないが全身痛いし、何よりもずっと寝ていたせいで頭が痛い。何もしないのであっても、ベッドからは出るべきだ。
2つ目について、これは私の性格が影響しているかもしれないが、やることがあるはずなのに理由もなく何もしていない、という状況に精神的に苦痛をメチャメチャ感じた。毎日進捗を産んでる訳では全く無いとはいえ、本当に何もしないということの心もとなさがすごい。
暇なので自分の存在意義とか考え出してしまったこともあり、生きていることに罪悪感を覚えてしまった。
一日何もしないだけで不安になってしまう生き方そのものも見直すべきなのでは?とも思うが、時間に追われる現代人。そんな性質を持ってしまっても仕方が無い。
結論
「一日何もしない」はやめた方がいい。逆に疲れるし、病むから。
まあでも、なかなかできることではないので、「もうしない方が良い」という学びを得れただけ良かった。
今日は朝から家庭教師に行って、内定先の座談会に出て、今からサッカー観戦をして…とやることマシマシ自己肯定感マシマシだ。「成果」を生み出さないと幸を感じれない悲しき現代人であるところの私には、予定ツメツメ生活が合っているのだろう。