24
はじめに
人生の変わり目はどこにあるのだろう?
齢24(まだ23だけど)にして考えることではないような気もするが、今朝からそんなことを考えている。
生まれた環境で人生が決まるなんてことも言われているが、その後。確かにここで自分の人生の方向性が決まった、なんて瞬間がある気がするのだ。
自分でいうと間違いなく人生の変わり目は中学受験であった。いわゆる御三家の中高一貫女子校(こんなん書いていいのかしら)に入学したわけだが、そこで人生の方向性は大きく変わったような気がする。地元からは離れ、一般と比較すると偏った、かつ画一的な思想を持つ友人に囲まれた生活は楽しかったが、人生のコンパスの可動域は確実に狭まってしまった。
まあだが、12歳で中学校に入学してから早12年。2倍だ。高校を卒業してから数えてももう6年。未だにその時の後遺症のせいで人生が…。というのはとってもダサい。マルモリ言ってた芦田愛菜も大人になった。
明日をもってそんな24歳になるのだが、悲しき社会人の性で明日はゆっくりする時間が取れそうもない。23歳最後の日に、自分が少しでもよい生き方ができるように、少し考え事をしようと思う。
23歳
23歳を振り返ると、情けない1年間だった。社会人1年目の後半、社会人2年目の前半というわけだが、一言で表すと「ふらふら」だった。仕事も恋愛もなにもかもうまくいかず、不健康な生活を送った結果自責思考に陥り、大切にしていたはずの考え方だったり、在り方だったり、そういうものが揺らぎまくってしまった一年だった。
大きく成長した部分もあると思う。一人暮らしかつ身近に友人もいない環境、という荒療治のおかげで、少し精神的にはたくましくなったのではないかと思う。ギリギリで生きてはいるのだが、ギリギリの中での安定感というか。そういうのはでてきたのではないか。綱渡りでも、綱の上に乗ってある程度慣れてしまえば安定するもので、逆に地に足着けたり綱の上に行ったり、そんな往復をする方が危ないのだ。
ちょっと間違っていることは認めるけれど、なんというか、ギリギリになっても焦らなくなったのは凄く良いことなんじゃないか、と思う。
人への頼り方、頼れないときは自分での納め方、そんなことが上手になった。
24歳は?
24歳としてどう生きていこう。目標はいくつも挙げても達成できないので、一つだけ挙げてみようと思う。(ダイエットという目標は1つしか挙げていないのにいつまでも達成できていないのは置いておく)
今年の目標は、「アンカーを見つける」である。
リレーの最終走者を見つけたいわけではなく、船の重石となるアンカーだ。
私は割と不安定なところがある。すぐ人に影響される。いいように考えるとすると、純粋なのだと思う。(おそらく人の顔色を窺いまくって人に合わせまくって自我を失いやすいだけであるが)
ふらふらするのも悪くない。人に合わせられるのも才能だと思ってはいる。でも、自分の中でここだけは、というアンカーがないとどこまでも流されて行ってしまう。
自分はこうだから大丈夫。自分はこういう人間だから大丈夫。根拠なんていらないのだが、ここだけを守っていたら自分は大丈夫。そう思える何かが、自分の内面に欲しい。変な言い方をすると、自分の中に依存先を見つけたい。
先日人と話していて、何をしてから死にたいか、という話になった。その人は世界中を見てから最後は宇宙に行って死にたいらしい。おもしろ。
だけど正直あまりピンとこなかった。確かに、行ったら楽しいだろうな、とか行ってみたい場所はあるけれどそうじゃなきゃ死ねない、とまでは思えない。そんなんだから未だにパスポートも持っていない。
私の興味関心はとかく「人」。とりわけ、「自分」に限定されているようだ。人がなぜそう考えるに至ったのかを考えるのが好きだし、自分がどうしていまその気持ちになっているのか、なんでその行動をしたのか、そういうことを考えるのがとても好きだ。自己愛の塊なのかと思う。
考え抜いた挙句、「考えつくしてから、自分のことを知り尽くしてから死にたい」って言ったら面白がられた。外と内、真逆すぎる考え方だから。
そんな自分だから、自分の中に重石を見つけられたら素敵な人間になれると思うのだ。パワーストーンだって、なくしてしまうのが問題だ。体内に埋め込んじまうのが一番いいに決まってる。(そういうのホントにありそうでちょっと怖いね)
いつでも揺らがずに好きなものが自分の中にあったら自分もキラキラできる気がする。自分の中をのぞくのが好きな私だから、キラキラしている自分を沢山確認出来てなおよい。
そんなもの一年でみつかる気もしないのだが、とりあえずそんなところを目標にしようと思う。
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