ぐにゃぐにゃ
どうにも寂しくて。
車の音が大きく聞こえる日は、夜風に涼みながら文字でも書こうと思う。
自己期待が著しく高く自己肯定感が著しく低い私は、いつも自分のことばかりで人に上手く関心を持てない。
今日も今日とて、自分という存在を無意味にこねくり回しては自己嫌悪に陥っている。
不安定であらゆる人から支え続けてもらい続けた私は、自分の輪郭さえもわからなくなってしまった。そんな状態を甘んじて受け入れられるほど、自己存在意義に自信があったわけでもなく、自分の納得のいく形を探し続けている。
他人を必要としていきたくない。自分の足で立ちたい。
依存することにも疲れた私は自立そのものに自分の存在価値を見出そうとした。
社会人になり、今は自分の生活は、自分で送ることができている。
親への借金を返せば、私の中では自立することになる、と思っている。
望んでいた環境なのに、どうにもまだ健康に乗り越えていくことができない。自立して自分の夢のために頑張るとかいう美しい型が私には合っていないのかもしれない。
寂しくて、しんどくて、自分の失敗を周りのせいにしようとして、でもどうにも自分のせいで、自分の実力が足りないこと、自分の人間としての価値の低さ、こうなりたい自分との落差にどうしようもなくしんどくなって
たくさんものを食べすぎて
何も考えたくなくてお酒を飲んで
太りたくないから全部吐いて
全部「こんな自分は嫌だ」「こんなことをしたくない」と否定し続けることしかしていない。
どうやったら自分を好きになれるんだ。私は周りの人が大好きだよ。みんないい人たちばかりだよ。自分よりダメな人間なんかいなくて、自分だけが、自分だけが何もできない、努力もやり遂げられないままだ。
なりたい自分としての話し方しかしてこなかったから、凄く頑張って、頑張って、中身の自分も素晴らしい人間だと思い込もうとしたけどダメだった。
自分という人間を客観的に見れば見るほど、全く好きになれなくて、でも周りの大好きな人たちに嫌われたくないからいい人間であろうとして、どんどんどんどん自分を人に見せられなくて、嫌な自分を自覚すればするほど消え去りたくなる。
休もうとしても休んでる自分が嫌い、何してる自分も嫌い、人と話してる時は理想の自分として話してるから楽しくても、その後口で言ってることと思ってることが違いすぎる自分がもっと嫌いになる。
こんなこと言っておいて自分のことがたまに好きになる時もあって、でも嫌いな時はそんなコロコロ変わる自分自身も大嫌いになる。
どうしようか。寝るしかないか。