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魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ

老子の言葉。※出典諸説あり

私がこの言葉を初めて聞いたのは、ある学校の説明会。このとき、色々と気づかされることがあって、とても印象的だった。

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「魚」を「知識」に置き換えると、
"知識を与えるのではなく、知識の得方を教えよ"
となる。

例えば、学校で教わる知識は普遍的なものとは限らない。社会に出てからも、自分が常に"知識"を最新化していかないと、時代に取り残される。だから、"知識の得方"を学校で教えるのである。……結構、しっくりくる。

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でも今は、"知識の得方"だけでも足りないと感じる。

自分を俯瞰して、"自分はどうしたいのか?そのために、どんな知識やスキルが必要か?"を自分で考えられないと、生きていくのが難しいと思う。

「魚」を「生き方」に置き換えると、
"生き方を与えるのではなく、生き方の見つけ方を教えよ"
となる。

私は社会人になって、何年も経ってから、”自分で「生き方」を見つけなきゃいけないんだ”、と気づいた。

会社で昇格していくこと
稼ぐ夫を得ること
適齢期に子どもを得ること……

どれも"正しい"と思って、目指していたけれど、挫折をして、どれも達成が難しいとなったとき、「なぜそれを目指しているのか」がわからない自分に気づいた。

もっと早く「生き方」を考える機会があったら良かったのに、と思う。

一方で、「面倒くさがりの私は、挫折しない限り、機会があっても考えなかったのではないか」とも思う。

思考停止して、いわゆる「成功」と言われることを目指すのは、ある意味ラクで、自分で「どう生きたいのか」を考えることを放棄してたツケがまわってきたのかもしれない。

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長いあいだ生き残って、人々に語られる言葉って含蓄に富むなーと思う。古典ってマジですごいな