大阪市西成区の自主映画『さとにきたらええやん』と、西成に住んでいた時の事。
昨日、京都に友達と一泊旅行に行った帰りの電車での事です。
後ろの座席の男性(サラリーマン風)2人の会話が聞こえました。
知り合いが、家を買ったそうです。どこに?西成と言うのです。もう1人が、「あーー😮💨」と、ため息のような反応をします。
男性は、続けます。
「買う前に見に行ってどうやったん?」と聞いたら、「難波や梅田とは違いますね」
家を購入した男性は、大阪の人ではなさそうでした。
先の男性「気にしないんやったら、俺は何も言わんかったけどね。」
その会話が、私を大昔の、西成に住んでいた頃に、連れて行ってくれました。
社会人になって、2年目の頃。
通勤に1時間半かかるのと、親から離れたくて、一人暮らしを決意しました。
不動産屋さんに行くと、紫のスーツを着た営業マンが、言いました。
「西成は、どうですか?」
私が言葉に詰まっていると、彼は、西成と言ってもいろいろだと言いました。今回の物件は、帝塚山のすぐ近くで、治安は悪くない。築2年ほどの新しいマンションで、まだ誰も入った事がない。分譲貸しのワンルームなので、造りもしっかりしている。オートロックもあるので、安心だと。
西成というだけで、安くなってしまうので、気にしなければ、おすすめです。と。
地下鉄、四ツ橋線の岸里駅から、徒歩5分以内で、便利でもありましたし、そこに決めて、約2年住みました。
西成といえば、じゃリン子チエ を思う人も多いのではないでしょうか?
あれは、西成区ではなく、大阪市頓馬区西萩という架空の区が設定されていますが、通天閣や、南海電車など、大阪の人には、西成だと、すぐ想像できます。
住んでいた2年間は、快適でした。
時々、ゴミ置きに、浮浪者の人が寝ていたりしましたが。
周りの食堂、レストランなども、値段が安めでした。
話は飛びますが、3年前に、『さとにきたらええねん』という映画を観ました。
なんか知らんけど、映画の半分くらい泣いていました。
こどもの里を作られた荘保共子さんのお話も聞くことが出来ました。
荘保さんは、西成に勉強を教えるボランティアに行った時に、子供の眼の輝きに衝撃を受け、教会の2階を、借りて、こどもの里を始められたそうです。
映画の監督さんのインタビューも載せます。
子どもがしんどいと言うことは、親がしんどい。でも、親は、自分でなんとかしてね。と、サポートは、ないです。
私も、息子が、不登校の時、これは、自分がダメになるという感覚がありましたが、ヘルプが言えませんでしたし、ヘルプを言う場所もなかったです。
思い出しました。
なんで、映画をみて、泣いたか。
映画に出てくる中学生の男の子。息子にそっくりなんです。学校で、うまくいかない所。
親から子どもを見ているのとは違って、客観的に、息子のような彼を見る事が、新鮮だったし、考えさせられました。
息子の中学卒業後の進路の事。
今日は、西成に住んでいたことを、西成っていっても、いろいろだよって、書くつもりが、やはり、息子の不登校時代に、話が行ってしまいました。
タイトルも、
大阪の西成って、知っていますか?住んでいた事があります。
から
大阪市西成区の自主映画『さとにきたらええやん』と、西成に住んでいた時の事。
に変えました。