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いい加減な生活をしている私がいい加減を勧める理由
もともと、私は真面目な性格です。
自分で言うのもなんですが。
そして、人一倍頑張り屋さんでもあります。
さらに、言うのもなんですが。
学校の勉強は、そんなに夢中になれませんでしたが、
アルバイトは、頑張りました。
なんで、頑張るのか、それは、生まれ持った性格なのでしょう。
例えば、ばれないから、さぼる人います。
昔、販売のアルバイトで、交代で、昼の休憩をするのですが、
お客さんが減ったタイミングで、休憩に行くので、
時間は、00分からとかではなく、今から1時間という感じでした。
そこで、いつも、5分くらい超過して戻ってくる人がいました。
私も、そうしたらいいんでしょうけど、絶対できませんでした。
そうする方が、落ち着かなくて、休まりません。
真面目な性格は、嫌だったし、面白みのない人生だと常々思っていました。
今は、ほどよく 楽に生きれています。
小さな子供がいるお母さんが、子供の躾に必死になっているのを聞くと
大丈夫、大丈夫と思います。
例えば、2歳で遊び食べをする。
→ そんなん普通やん、息子は、中学生の時も、食事の途中に、ギター弾いたりしていた。
大丈夫と思えるようになったのは、いろんな経験を経たから。
挫折を味わったから。
それでも、私や、私の周りは、たいして変わっていなくて、
困ったりもしなくて、たいしたことじゃないんだと身をもって分かったから。
一番の挫折は、別居。夫とは、一生うまくいくと思っていました。
そして、そのために努力もしたつもり。
夫婦が仲良くが理想。理想のために、我慢もした。
しかし、その努力、我慢、そして、世間体を手放した時、
周りは優しいし、自分も幸せだと感じました。
それまで、やはり、離婚する夫婦には、何か我慢のようなものが足らないと思っていました。
次の挫折は、子供の不登校。
それまで、やはり不登校は、よいか悪いかというと悪いと思っていました。
そして、不登校の親は甘やかしているとか、ネグレストとか、家庭に多少とも問題があると思っていました。
わが子が不登校になり、不登校の子のお母さん方と知り合えて、
全く自分の偏見だったことに気づかされました。
不登校は、良いも悪いもないと思っています。学校に行かないという事実、それだけ。
他にも、いろいろな挫折と、落ち込みを味わって、(小さな挫折は、最近英検に落ちたこと)
人生、なんとかなるものだなと、思えたら、
人生、これから、どうなるのだろう。と、興味がわいてきました。
そのための努力は、楽しんで出来そうです。
こうして、子供の頃の、くそ真面目な性格は、手放せたのです。