鍼は刺すのではなく、ふれるのだと再確認させられた
この本『手の倫理』伊藤亜紗著を読んで、思いつくままを語りたいと思う。
何気なく図書館で見つけて読んだ本。人が人にさわる、ふれるとき、そこにはどんな交流が生まれるのか。という裏表紙に惹かれた。鍼灸師として、日々、人に触る。これは果たして触っているのか、ふれているのか。
結論、鍼を介してふれているのだ。
鍼を持つ前には左の手の平で患者さんのお腹の状態を伺い、脈にふれる。脈をさわるとは決して言わない。患部にふれる。それは、まるで、患者さんの体の内部で起こっていることを伺い知ろうとするように優しく丁寧に。しかし、時に、それをくすぐったいと感じる方もいて、その時はあえて、さわる。さわる時の手は、少し硬くなっていると感じ、ふれる時、手から力は抜けている。さわるは触れたそこの事を指していて、ふれるはその奥の事を指しているようだ。脈、お腹の動きなど、皮膚表面より奥を。
人にふれられる・さわられるのは、気持ちのいい事もあれば、不快な事もある。美容院でシャンプーされた時、至福の気持ちになったことはないだろうか?逆に、何か居心地の悪い気持ちになったことはないだろうか?触れ方、触り方は、教科書を読んで理解できるものではない。感覚なのだ。
さらに、相互の信頼関係も大きく影響するだろう。そう思うと、初めて鍼灸院に来られる方の緊張度は計り知れない。初対面の人に触れられるのだから、こんな異常な事はない。それを肝に銘じて、ふれる、さわるをしていこう。その体の訴えるところをふれて伺い知りたいと願う。本来、治療とはそういうものだ。
考える機会を与えてくれた『手の倫理』に感謝する。