可哀そうな私をやめてみた
最後に(悲しくて)泣いたのはいつだっただろう。思い出せない。嬉しくて泣いたのはすぐに思い出せる。
子どもの頃、よく泣く子だった。幼稚園では毎日のように泣いていて、先生が母親に「今日は泣きませんでしたよ」と報告しているのを微かに覚えている。妹に何か言われて泣くと、母に「妹に泣かされるなんて情けない」と慰めるどころか、さらに追い打ちをかけた。
たぶん構ってほしかったのだと思う。泣くことで、自分を可哀そうな人とみてほしかったのだ。ただ、その試みは成功しなかった。だから、泣くのを止めた。ただ、かまってほしいのはずっと続いていた。
どこかで悲劇のヒロインのような自分に酔いたかったのだろう。可哀そうな私。それを止めたのは、別居してからだ。覚悟が決まったし、泣いている暇はなかった。可哀そうな私をやめると、なんか自由になれた気がした。自分の行動に責任を持つ自由。こっちの生き方の方が好き。これからも嬉しい時に涙を流そう。