勉強嫌いではない
SNSでいい言葉を見つけた。最近私の中で「?」だったことの答えだ。
ストンと心に落ちる言葉。
私の英語教室の生徒の多くは「勉強、嫌いなんすよ」と言いながら英語の新しい表現をバンバン使って話すし、出来るだけ人と被らない様に面白いオリジナルの回答を考えていたりする。それも「勉強」じゃないのか、と思っていたけど、そういうことね。
彼らが嫌いなのは「作業」だ。
そして私が見てきた中で特に「クリエイティブ」な要素が強い子たちは、学校で言われる「姿勢」「おしゃべり」「もう止めなさい」「これが正解」「その色は違う」「字が汚い」等々の注意にうんざりしている。彼らの前にこれらの言葉は意味を持たない美しくない音楽みたいで、ただ右から左に流れている感じ。その中で強いられる作業全てを拒絶する。
一度彼らが自由を手にすると、彼らは素晴らしい集中力と創造力を発揮して作品を仕上げようとする。
問題は大人たちの中の勉強の定義。
姿勢正しく美しい文字で整然と大人が喜ぶ模範的な答えを書き、「話しても良い」と言われたら適切な言葉で友達に親切に、大人には丁寧に接し、「止めなさい」と言われたらどんなにしたいことでもそこで止め、多くの大人が「正解」と決めた色を使って作品を仕上げる。
そんな人ばかりの世の中は秩序が整い一見美しい社会かも知れないが、面白いだろうか。私は耐えられないと思う。この「作業」ばかりに重きを置いてきた時代に教育を受けた人たちが今大人になってどんなことに苦しんでいるかを見つめ、これからの教育を考えていく必要があると思う。
クリエイティブな人たちがこれからの日本を支え、変えていく。多様性を大切にしようという流れは今の私たちに必要なことで、右向け右の空気にしたがって生きる人をこれ以上量産しては危険だと多くの教育者が言っている。子どもたちが自ら学びたい、と思える本物の「学び」を得られる場所がもっと増えると良い。民間でも「かつて苦しい思いをした子どもだった人たち」が、今動き出している。新しい教育現場がたくさん誕生している。この流れでこの国がもっと素敵な「学び」に溢れた国になりますように。