対話の練習
着地点のない対話って大好物。
なぜかどっちかの意見に合わせようとか着地点を決めるから、私は学校の議論とか道徳とかが苦手だったのかも知れないな。
ただ「違いを知る」だけの会話。楽しい。
そして子どもたちを見ていると、シェアし合っている間に少しずつその子の本当が見えてくることってある。最初乱暴で雑な話し方をしていても、少しずつ考えて本音を語り出す。話し方が上手じゃなくてもいい。でも話し続けないと上手に伝えられる様にはならない。大人はどうしてもその途中で代わりに言ってあげたり、勝手にまとめたりしてしまう。
でも教室では、子どもたちがどんどん自分の思いを紡ぎ出す、その過程を見ている様で、愛おしくて楽しい。私はそれを見ているのが好き。
英語教室だけど、こういう日本語の会話をよくします。
そして「勉強やだ〜」って言ってる子も、こういう会話にはめっちゃ挙手して参加するのは、いつもちょっとした驚き。きっと決められたことが苦手なだけで、自分の中にはちゃんと考えがあるからこそ「勉強やだ」って言うんだろうな。
子どもたちに話すコツは「ただ聴く」こと。わかりやすく答えたくなる「問いかけをする」こと。高圧的ではないこと。できれば感心しながら。「そう思うんだね〜」と。受け止められたと思ったら、もっと話す。でも否定されたと感じたら話さなくなる。伝えなくなる。
何かを大人が欲しがっていると気付いたら、すぐに子どもたちはその欲しがっているものを出そうとする。それに満足していたら、ダメ。それはリアルではないから。「間違った方法で身を守ること」「忖度すること」を学んでいるだけだから。
だから無になって聴く。子どもたちよりも更に純粋で真っ白な存在になって、その言葉をもっと噛み砕いて教えて欲しい、と乞う。
スピード感が必要な場所で、それは難しいこと。物理的にも心的にもかなりの余裕が必要だから。だから今の世の中で、子どもたちにこの経験は難しい。
私がここにいる理由の一つかも。