私の教室 こだわりの場所
私は小さな英語教室を運営しています。
最初は家族だけで生徒は5人。15年経った今ではその数倍の子どもたちが通ってくれています。
「楽しむ」ことだけを掲げている教室なので、世間では目的が変わってくる中学生になると、自動的に卒業です。中学生になるとみんな、他の目的のために英語を頑張り始める。テストで良い点を取りたい、希望する進路に就くために英語力を高めたい。とても素敵なことです。
でも、それはしばしば私の「楽しむ」という目的から外れてしまうので、私は出しゃばらず私の範疇で仕事をしていたいと思っています。
それでも卒業後、時々「楽しみたいんです」と舞い戻ってくる子どもたちがいます。先日戻ってきた子も、そう。英検のある級取得を目指しています。学校の英語も楽しいけど、もっと英語が得意になりたいと英検の上位級を目指していました。喜んで伴走しました。私もとっても楽しい時間を過ごしました。彼女の書く作文は想いが込もっています。彼女らしいアイデアをなんとか英語で表現しようとするから、私も見ていて楽しかったんだと思います。最初は小難しく書こうとして少し内容がブレて見えたので、「上位級だからといって敢えて難しく書こうとせずに、今自分が持っている道具で勝負してみようか」と声をかけましたが、彼女は私の想像を遥かに超えて少ない道具での表現力をグングン伸ばしていきました。どうしても書きたいことは自分で新しい道具を探してきて、それを使って表現していました。何度も書く内に、それは彼女の道具箱の常連になりました。あぁ、楽しい。スポーツをした後みたいに、彼女との講義のあとは爽やかな気持ちになります。それは、彼女自身が楽しんでいるからだと思います。
「受かるかなぁ」と不安そうな彼女に真顔で「試験ってのはね、その時にとんでもない事故みたいに自分が苦手なところばかり出るとか、そういうこともある。自分がとんでもないコンディションになってしまうことだってある。もちろん合格したいけど、そういう時はもうね、仕方ないわ。
でも試験関係なく、○○さんはこの試験を受けるって決めてからこうして何個も作文を楽しみながら書いて、自分の持っている道具を使いこなして、更に新しい道具まで手に入れて。これはね、試験以上の価値がもう既にあるんよ。先生、本気でそう思うから…でも、受けるからには受かりたいよね。応援してるから、自信持って楽しもう。」と見送りました。
私の掲げている「楽しむ」の伏線回収を、こうして見せてくれる人の姿を見ると、日頃「楽しいばかりじゃ力はつかない」なんて言葉にゆらゆら揺れる私の心にはまた一つ希望が注がれます。「楽しい」の先が、力なんだと信じています。自分で手探りで見つけるのが学び。そして自分で手探りしよう、見つけたい、のモチベーションは「楽しさ」なのです。
周りを見渡すと、競争や成果。大人が求めるものを追いかける子どもたちを見ながら、自分は時代と逆行していると思いながら。そのスピードにユラユラ心は揺れてしまうけれど。揺れることも大切。揺れるからこそ見えてくる真実もあります。揺れながら、でも折れることはなく。
しなやかにこの時代を見つめながら、ただここで凪いで漂う存在でいたいと思っています。時々流れの速さについていけずに惑い漂う人が海底の藻に絡む様に、ここで休んでくれたら良い。
それが私のこだわりの場所。