楽しいだけでいたい人が、なぜかいつも悩んでいる件
ある人は言う。
「面倒なことは知りたくない。見たくない。面倒は、現実だけで十分」
その人は、楽しいこと、明るいこと、愉快なことだけを見たいと言う。
そして実際自分の身の回りで起こっている現実も、直視しない。
人の噂や芸能人のゴシップ、悪口が主な話題。面白おかしい部分だけを選んでいるはずなのに。それなのに、彼女はいつも悩んでいる。
以前人に聞かれたことがある。「世の中の暗い部分、辛い思いをしている人のことを知りたいと思うか、それとも知らずに楽しく生きていたいと思うか」私は"知りたい"と即答した。その時は言葉でうまく説明出来なかったし、今でも出来ないけれど。
他人事じゃないからだと思う。綺麗事に聞こえるかも知れないけれど、私が敢えて言葉にして言うなら、そうとしか言えない。
前述の友人は今日も不平を言う。「私が何をしたっていうのか。なんでこんな嫌な目に遭わなければいけないのか」と。
人がどんな思いで何をしているのか、それを知ると自分の弱さや自分勝手さに気づく。いかに狭い視野で物を見ていたかを知る。自分さえ良ければ、のままでいると視野が狭いままなだけでなく、心の揺れ動きや人の行動、言葉の意味がうまく受け取れなくなっていく気がする。嫌なことに蓋をするのは構わない。けれど、愉快なことばかり見ている人生が必ずしも楽しいばかりか、というとそうでもない。
人生の味わいは、もっといろいろな思いや関係、甘さだけではなく苦味や辛さなどで彩られるものの様だ。
人の痛みを自分の痛みとして捉える中で、自分の痛みともきちんと向き合うことが出来る。その痛みを通して学ぶ人の気持ちや試行錯誤の中にこそ、問題解決の糸口がある。心を成長させず狭い世界に閉じ込めておくことよりも、広く開いてじっくり立ち止まり考えながら生きていく方が、呼吸がしやすい気がする。私はね。