絶望からの希望〜日本の教育〜

教育崩壊

教育が崩壊した。私は現状をそう解釈している。不思議だ。崩壊しそうだと思っていた時は「崩壊させてはいけない」と焦燥感や失望感ばかりが増し、あれも悪いこれも悪いと悪いことばかりが目について、どれから修復出来るんだろうかと思い悩んでいたのだが。日本なんて一刻も早く出てやる、と思っていたのだが。一旦崩壊したと思ったら、後は希望しか生まれてこない。ここからきっと芽が出て新鮮な草木が息吹き、素敵な教育が生まれてくるのだろうという期待が湧いてきた。

教育は大人の事情

 「先生の質が落ちた。」そう人々は言う。言葉は怖い。それを度々耳にしていると、違和感がありながらも自分も口にしてしまいそうになる。しかし、そもそも人に対して「質」などと言うのは本当に失礼な話だと思う。
それを平気で人に言える人を育ててきたのが、今壊れたこれまでの教育だと思う。テストで人を振り分け、どれだけ他の人より素晴らしいか、他の市より他の県より、他の国より素晴らしいかを見せつけることが目的の大人の事情の中にどっぷりと取り込まれた子どもたち。教育はいつしか、「自分の手柄を人に見せつけるツール」となってしまった。子どものことはそっちのけ、そんな言動が先生たちから出ているのも大人の事情を掲げて人をコントロールしてきた管理職、市町村、引いては国の大きな過ちと言える。

数字こそすべて

 競争社会が加速したのは、人々を競わせて結果を出させ、更にその結果を自分の手柄にしようとした人によって進められたものである。それは教育がトップダウンで行われていることの一つの害。国が「他国よりも『数字で』勝りたい」と判断すれば、その司令がどんどん下に投げられる。そして国全体が「数字を出す」ことに専念する。それが幸せの基準であると国が決めれば、人々はそれを信じる。国のいうことは信じる、先生のいうことは正しい、そう教育してきたのはトップダウンで扱い易い国民を育てるための教育の成果と言える。異を唱える暇さえ与えられない程のスピードで国全体が「数字を出す」ことへ突き進む。
 当然基準が「数字」なのだから、「数字を出す」者を優遇し「数字を出せない」者には、数字を出せるように圧力を加えたり、ひどい時には除外したり無視したりするしかない。限りあるエネルギーを数字を出す者のために使う、というシステムが出来上がる。当然そうだろう。だって「数字」がすべてなのだから。
 そうして、数字を出す優遇される者は一生を約束され、数字を出せない者は苦労をする社会が出来上がる。「落ちこぼれをつくりたくない」とは言葉だけで、あるはずのない「落ちこぼれ」を自ら作り出す社会だ。

情報化でみんなが気付き出した

 しかし、この度その社会も教育も壊れた。
そこで冒頭の言葉に戻ろう。私はこの国が壊れそうだと危機感を覚えるあまりに日本脱出を企てていた。我が子はかろうじて生き延びた。しかし孫は。このままこの教育が進むのであれば孫は日本では育てたくない。そんな気持ちでいっぱいだった。日本の悪いところばかり目についていた。しかしかといって海外がすべて良いかというと、各国それぞれに問題を抱えている。
 結局自分にとって一番良いのは、この国が住みやすい場所になることだ、という結論にたどり着いた。数字を信じ込まされてきた人々が、はたと立ち止まる。気がついたら我が子はいつも誰かの言いなり。判断力も思考力も主体性もない。それが善い、とされていた教育や社会は壊れ、今まで成功者だと思っていた人たちが心を病んだり、悪いことに手を染めたり。何か変だと気付き出す。

子どもと大人のズレ

 随分前から「大事なことは幼稚園で学ぶ」ことを書いた本が売れ、「小学生はとことん遊ばせるべき」と有名な塾の先生がおっしゃっていた。それにも関わらず、ただ数字を追うことが幸せであるかの様に大人たちは子どもに言い聞かせ続けてきた。教育は人の心の根っこを操作する。
 しかし今、情報が溢れ子どもたちの手にも簡単に「数字がすべて」以外の思想が入っていく。今まで信じてきたことへの違和感。それを信じている大人たちへの違和感。自分がしたいことは、もっと他にあるのに。自分だってしっかり考えているよ。僕を見て。数字じゃない、僕自身を見て欲しい。
それを言えないでただ日々を暮らすことへの虚しさ。それは不登校や反抗期、いろいろな形で大人に向けられる。それでもものすごい圧力をかけて制圧し、いつか大人になってその歪みが出てくる。

今後生まれるはずの教育

 そんな背景から今が最悪の状態になっている教育、社会だが。ここから新しいものが生まれるのであれば、それは「学びの楽しさ」であり「子どもたちが笑っていられる」環境。子どもファーストの国だ。一人一人が大切にされ、出来ないことは叱られるのではなく無理やりさせられるのではなく、人の助けを借りたり自分も人を助けたりして補う。そんなことを教育の中で教えたらいい。一クラスの人数を減らすか指導者を増やすか、子どもたちがのびのび笑って学ぶことを最優先に考える場所作りを真剣に考えれば、絶対可能なはず。
 結局問題はお金ということになるのだが。教育にお金をかけない国は滅びる。それは当然。今までお金をかけずに成果だけ搾取しようとした結果崩壊を招いたのだから、今後それをどう改善するか、答えはもう出ている。それを見て見ぬ振りする政府なら、今度は教育だけでなく国ごと壊すことになるだろう。

 「人の質」を作るのは教育。「教育の質」を作るのは国。
敢えて「人の質が落ちた」と言いたいのであれば、それをそのまま「政府の質」だ、と言い換えるようにしよう。

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なみお
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