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社会不適合者の末路
大人になって、いやなんなら40代になって気づいた。私は社会不適合者だったんだ。社会のルールひとつひとつに立ち止まる。「なんで?」でも子どものころから身につけてきたこと、また生まれつき持っている感覚で理解できることもある。
「人を傷つけてはいけない」大体私の倫理観はこれベース。
でも不思議なのは、そう学んできたはずなのに、何か目的があったら人は平気で人を傷つける。間違って傷つけてしまった、というよりも故意に傷つける。それがなぜかわからない。
50を過ぎた今、人生で一番辛かった時はいつかと問われると、学校に通っていた時だと即答する。理解できないルールをただ守り、先生や先輩に無条件に従うことは、考えることや対話、理解することが必要な私にとっては苦痛以外のなにものでもなかった。今の時代の学生だったら、私は学校に行かない選択もしていただろうと思う。昔はそれ以外道がないとされていた。それが良いという人もいるけれど、こうして苦痛はその後数十年その人の中に根付く。
学校という学校を全て終えて、私は海外に行った。しばらく全く違う価値観に触れると、なんとなく全てが腑に落ちた。「ほーらね」という感じで。
あんなに怯えて髪の色を黒くしなくても、スカートの丈を微調整しなくても、休む理由を色々考えなくても嘘つかなくても、十分生きていけるんだ、ということに感動した。学生時代の視界は狭い。いつも思い出すのは馬車馬の目の横についている、あの目隠しみたいなもの。あれをつけてみんなまっすぐに走らせられるんだ。多感で一番考えたい時に。
バイトや仕事はした。ルールが明確なのが好きだった。「髪が食べ物に入ったらいけないから、髪をまとめる」「お客さんを待たせては申し訳ないから、手早くする」とひとつひとつのルールにきちんと納得いく理由があり、それを説明してもらえた。
でもやっぱり集団の中にいると、あの人の言うことは絶対、という人がいて、どんなに変なことを言っていても、みんなその人にYES!と言う。陰で文句を言いながら。強い嫌悪感を覚えた。そういう職場ではその「絶対」の人と喧嘩して辞めたりした。
結婚して子どもを産み、しばらく社会と関わらずに楽しく過ごしていたが、我が子が幼稚園や学校に通い出したらもれなく社会がくっついてきた。
ママ友界隈の掟が難し過ぎて「えぇい、やめちゃえ」と思っていたら子どもに「どうして母さんは友達がいないの」と聞かれて、気まずかった。
PTAに入るとそこはクエスチョンのオンパレード。結局校長の意向に沿う内容に書き換えられた原稿ではなく、総会当日に元原稿を読むということをして人を慌てさせたり、忙しい母親たちと結託して会議をLINEだけで済ませたりした。それでもそれなりにうまくいった。
最終的に私は私のボスになった。小さく起業したのだ。小さな英語教室を立ち上げ、細々と始めた。今年で15年。巡り巡って、社会不適合者の私が選んだ一番働きやすい場所は、ここだった。
社会に合わなかったら生きていけないのでは、と心配する人が多い。子どもが不登校で将来を心配し、嘆く親にもたくさん会ってきたし、私もその一人だった。
でも小さな箱に閉じ込められて「ここでしか生きられない」と言われるほど苦しいことはない。世の中にはたくさんの生き方があるということを知るだけで、目の前が開けることもある。
ゆっくり温かいお茶をすすりながら「私は社会にとことん合わなかったな…」と奮闘していた自分を思い出し、一人でふふふと笑いつつ、人生50年で一番幸せな今を過ごしている。
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