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社会から抜け落ちる子どもたちの気持ち

 ある生徒が涙目になって反論している。その子は明らかに正しい判断が出来ない状態になっていた。他の子と揉めてその子に文句を言われ、先生に叱られ、それでも涙目で反論していた。
 それを目の端っこで見ながら、授業が進む中でさりげなくその子に絡んだ。よく出来ていたことを見つけて「お、よく気付いたね」「やったね!ラッキー!」
 そして後から例の揉めていた子の発言に付け加えを求めたら、なんとその子がサッと気持ちを汲み取って言葉を足してくれた。
「わ!よく気持ちが通じてるね〜」
照れ臭そうに笑いながら、その子は正気を取り戻していた。

 先生の指導も大事。その子は確かに間違っていた。でも、その子にも言い分はあって、それが消されてしまうとその子はそこに漂った気持ちを処理出来ない。そんな低学年男子。
 私がここで思うのは、多くの人の目があることの大切さ。正しく公平に指導する人はもちろん大切。でもその子の気持ちに寄り添ってくれる人も大切。そのバランスで子どもは反省しながら育っていくのだと思う。一方的に責められ、形ばかり謝罪させられても心の中はスッキリしない。成長には繋がらず、それは心を少し歪ませる。

 かつて小学校の教室に多くのサポーターを入れた方の話を聞いたことがあるが、そこは子どもたちにとって安心して学べる環境となる。一人の先生が30-40人の子どもたちを見るなんて、想像しただけでも不可能だ。ただでさえ大変なのに、一人一人の気持ちに寄り添うなんてあり得ない。クラスの中での多くが、自分の気持ちが置いてけぼりになって淋しい気持ちややるせない気持ちになっている。それに寄り添う家庭環境があれば、その子はそれで安心感を得られるだろう。でもそれが出来ない場合は。また更に家でも誰も自分に寄り添うことなく更なる理不尽を押し付けられたら。
 その子はどこにも心の安らぐ場所がないことになる。

 今、そういう子が多い気がする。
学校でも家でも地域でも忙しい大人の間をするっと抜け落ちてしまっている子どもたち。自分の気持ちを置き去りにしながら体だけ大きくなっていく。心は休まらず安心出来る場所がどこなのかも知らない。

 その子に一人でもいいから、寄り添ってくれる人がいたら。一日に一言でもその子を認める一言をかけてあげられたら。その子の未来はずっと明るいものに変わる。多くの子どもたちをたった一人の先生に任せるシステムや、大人が忙しく働いていないと生活維持が出来ない社会環境は、改められるべき。教育と社会は繋がっている。今心が歪められた子どもたちは、直に社会を作る人となる。

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なみお
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