みんな毒親
英語教室を運営しています。その中で、私は家庭に出来ることをおうちの方々にご紹介してきました。もちろん家庭の力は大きいと思います。生活の中で子どもたちの良い習慣を作る過ことは、家庭で作りやすいからです。
ただその一方で、仕事の忙しさや個人の問題などで子どもに良い関わり方をしたくてもなかなか出来ない、という方々のお話も伺ってきました。「子育てを家庭に押し付けてほしくない」と言う方や「学校に任せきっきりにしないで欲しい」と言う先生方や…大人がいろいろ言い合っている間にも、子どもたちは成長していく。そんな中で、私は自分に出来ることは何かと考えてきました。
子育てをしている中で、確かに出来ることもたくさんありました。でも同時に荷が重すぎること、自分を責めることもたくさんありました。そこで、私はおうちの方々に「家庭だけで背負い込まず、学校や地域、習い事や旅などで、いろいろな大人と出会うことも大切」とお伝えする様になりました。
講師仲間の友人と話す時にも「もっと家庭に出来ることがあるのでは」と同じくらい「家庭の方針が固まりすぎて子どもが自由に身動き出来ない例」の話をすることも多くなりました。答えはどこにあるのか。私たちに出来ることは何か。
そんな中で、モヤモヤしていた気持ちがストンと落ち着くtwitterを目にしましたので、シェアします。正に目から鱗。その通りだと思った私の心はまだどこかで「きちんとした親でいなければ」「自分は毒親なんかじゃない」に支配されていたのかも知れません。
あるものとして考える
以前一緒に働いていた、私が師匠と仰ぐ不登校担当員の先生(元校長先生)が言われていたこの言葉を思い出しました。
それを言われた時、心底たまげました。何千人もの子どもたちやおうちの方と関わってきた校長先生。学校の先生だし、きっと「それは根性叩き直さんと!」って言うだろうな、と思っていたのに「そりゃ、仕方ないさ」とあっさり言われたことで、子どもたちとの心の距離感をストンと理解出来ました。
思えば「自分が育ててきた」も「治してやる」も、かなり高慢な考え方。子どもは家族の持ち物でもなければ、生産物でもない。一人の人としてたまたまそこに生まれてきた人。その人が抱えている問題はその人の問題。一緒に過ごす私たちに出来ることは、その子を鍛え直すことでも責めることでもなく、その人の抱えている問題によってその人がしんどくないように。生きづらくならない様に。一緒に考えることが一番大切なのです。
子どもにしても自分自身にしても。弱点に見えること、困りごとを「あること」として受け止めるって、実際私たちちゃんと出来ていないんじゃないかな。都合の悪いことは見て見ぬふりをして、人並みに出来てる感を出すことに必死になってるんじゃないかな…
「あることなんだ」それは仕方ない。じゃ、それありきでどう楽しく生きていこうか?って一緒に頭ひねる方がずっと前向きで楽しい、って気付きました。家族だけじゃなくて生徒も、自分自身も。
毒親論も表現はちょっと強めですが、自分で背負い込まず良い具合に手放す、社会で一緒に子どもを育てる、という意味では理に叶っていると思います。どんな親でも、偏りはあります。生きている以上人間はどこかしら偏ったものです。親に限らず。ただ、親の影響をもろに受けてしまう子どもたちの立場からすると、大人の偏りにただ従うのが仮にその子への最適な答えだったとしても、始めからその答え一択というよりも、選択肢があってそこから自分で選ぶ方が良いと思うのです。よく似ている親子でも、親と自分では性質も個体も育つ時代も違います。その中でいかに自分に合った人生を選ぶかは、ぶち当たるべき必須項目。その時にいろいろな角度のアイデアや生き方に触れる方が、自分をよりクリアに客観的に見ることができそうです。
親の肩の荷を下ろす
何より「私はちゃんとした親だ」「間違ってはいけないんだ」と思い込むあまり、気がつくと自分も思っていない方向に進んでしまうケースも多い様です。ちょっと極端にも見えますが、まず「自分が良かれと思っていることだって毒にもなり得る。自分が出来ることには限界があるんだから、自分が全ての役割を担うことは出来ない」と自覚することで、必要以上に重いものを背負わず、少し気楽になりませんか。
私自身もかなりそれを背負っていた時がありましたが、結局自分がいっぱいいっぱい抱えた時には、多くの人に救われました。自分だけの頭で出る答えは限られていますが、そこで出会った人たちの言葉に目から鱗。そんなことが多々ありました。
私の子どもはもう大人になりました。私自身は子どもたちとの関係の中で、自分が抱えていたものを手放さざるを得ない状況に置かれ、結果とても楽な親子関係を築くことが出来たと思っています。これは、本当に出会いの賜物で、いろいろな考え方や表現の人たちとの対話や関わりの中で改めて自分がどうありたいか、子どもに一番必要なことはなんだろうか、というのがどんどん鮮明になってきました。関わる人も重要だったと思いますし、自分が躊躇していたことに良いタイミングで背中を押してくださる人がいたのも幸運だったと思います。
私は教育現場で働いていますので、子育て世代の方々に「関わる人」の立場としても存在しています。子どもたちの見本になる様な大人であるかはさて置き、こんな大人も楽しそうに生きてるんだな、って笑ってもらえることはできるのかな、と思っています。ある方に言われた言葉がとても嬉しくて私はそのためにもここにいよう、と思っています。
「先生みたいにはなれませんが、先生の話を聞いていると、自分がニュートラルに近づける気がします。」
私こそ毒みたいに社会不適合な人間ではありますが、こんな人間でもあちこちぶつかりながら、いろいろな人と出会いながら3人の子どもを育て、自分なりに幸せな人生を過ごしていることが、誰かの励みになるかも知れないな、と思うのです。
*2024年11月 一箇所編集済(内容に変更はありません)