(2)すべてが変わった日
★こちらの記事「(1)最初にご理解いただきたいこと」
がまだの方は、まずこちらをご確認、ご理解の程よろしくお願いします。
晴天の霹靂
病になったのは、2006年後半〜2007年頃、正確には覚えていませんが、海外駐在していた時のことです。
海外勤務というのは、夢描いていたものとは違って、想像以上に困難でストレスフルなものでした。
(業界や会社にも関連するため、内容的に詳細を書くことができませんが、抽象的にして書ける範囲で試みてみます。)
僕が働いていた会社は、現地の完成品メーカーの依頼を元に製品を開発、製造する部品会社でした。
その中での僕の役割は、お客さんと自社の間に立って、費用や納期などの調整、交渉ごとをしていく窓口業務のような仕事でした。
お客さんは巨大企業で、こちらはそのサプライヤー。
力関係に差がある業界で、巨大戦艦が進む方に、なにがなんでもくらいついていかなければいけないというイメージです。
力関係が対等な関係でのやりとりでは、
お客さんから
「これをこの日までにお願いします。」
といった依頼をされたら、
-これだけの期間と費用が必要です。
-この内容に了承頂ければ、お引き受けしますがいかがですか?
みたいな感じになると思いますが、
力関係が大きく違うと、
そうならないときがあります。
「これをこの日までにお願いします。」
と言葉では同じ依頼でも、
そこには、
(納入日はずらせないので、これでやって頂く必要があります。)といったニュアンスが含まれます。
引き受けるか、引き受けないかのところで選択肢がなく、受けるしかない。
こういう違いがあります。
納入日が迫っていても、必要であれば、変更依頼が入ります。
例えば本来3か月ほど必要なところを、1か月でやる必要があるといった感じで。
そういう世界(枠組み)なので、それが当たり前、仕方がないといったら仕方がないのですが、短納期の依頼を、窓口である僕が最初に話を受けて、社内の人にやってもらわなければなりません。
これが心を痛めました。
社内の受け手は、毎日夜遅くまで残業しているような日本の従業員達、そこに割り込んで、なんとしてでもやってもらわなければならない。
「そんな短期間でできるわけないよ!」
「またかよ、勘弁してくれよ。」
といった彼らの不満を一身に受けながら。
仕事が休みの日、家でゆっくりしていても、遊んでいても心が休まる日がありませんでした。
こういうことが、自分には合っていなかったように思います。
本意にそぐわないことを、我慢してやり続けたこと。
本当はNOと断りたいところ、NOを飲み込んで受け入れたこと。
振り返って気づいたことだけど、「対等であること」や「相手の事情を尊重すること。」といったことが、僕の大事にしたい価値観の中でも優先順位が大きいのだと思います。
そういった価値観に反したものを受け入れ、やってきたのが堪えたように思います。
そして、
このような生活に+アルファで
・現地人との英語でのコミュニケーションの難しさ
・自分自身の経験値や能力不足で、うまく切り盛りすることができず、いろんな方面から責められたこと、そしてそんな自分をほんと俺ってダメだなあと自分が自分を責め続けたこと。
・元気だった父が突然脳内出血で倒れたこと
などが重なり、ストレス耐性の限界を超えてしまったのかもしれません。
海外で働いて3年程経ったある日、ひどくお腹を壊しました。
下痢が止まらなかったのです。
腹痛は、それまでの人生でも何度かあったけど、1日、2日も経てば回復するようなものばかりでした。
でも、そのときは2日たっても、5日たっても、2週間たっても、一向に回復する気配がみえません。
これはさすがにおかしいと病院に行きましたが、それでも原因がなかなかわからず、精密検査の結果、ある病気ということが発覚しました。
潰瘍性大腸炎という病気で、難病指定されているものです。
「この病気は一生治りません、だましだまし付き合っていくしかありません。」
お医者さんにこのように告げられた時、あまりにも突然のことで、何が起こっているのか、半信半疑のような状態でした。
これが一生治らないってどういうこと・・・
これから人生どうなってしまうんだろう・・・
この現実に否応なく向き合わされるのは、そのあとのことです。
間もなくして日本への転勤命令が出たのです。
5年の海外勤務予定が、約3年半で突然の終焉を迎えることとなりました。
挫折感が大きく、誰にも帰国の本当の理由は言えませんでした。
そしてこの時はまだ、これから待っている地獄のような日々を知る由もありませんでした。
想像を絶する地獄を。
続く
P.S.
伝えたいことを伝えるためには、ある程度の文脈が必要のため、できるだけ抽象化し、業界や会社で体験したことを書いたが、これらを否定したくて書いたのではない。そういう意図は毛頭ない。
業界や会社、それぞれの枠組みがあり、その枠組みの中には、そこで必要な優先順位、価値観があり、またその中で働く人達の血と汗と涙の努力のおかげで素晴らしい製品が世の中に出され、僕たちはその恩恵を受けている。
同じ世界の中で、共に時間を過ごさせていただいた者として、今も奮闘されている方達の、強い精神力、熱意、努力を心からリスペクトしています。
僕はその枠組みの中で必要とされる価値観と、自分自身が大事にしたい価値観の折り合いをうまくつけることができなかった、適応できなかっただけで、うまく適応できている人もたくさんいると思う。
適応できないことに我慢して適応していたことが、病気の要因の大きな部分を占めているのでは?と想定し、自分の思うところを書いてみた。
個々が大事にしたい優先順位は、時と場合により違ってくる。
例えば家族を守るために、お金を優先するときがあったり。
僕は、身体を壊した経験から、自分が大事にしたい価値観を大切にできるコーチという仕事に惹かれて、選んだのだと思う。