「標準治療の先」の戦い その3
夫のこれまでの闘病経緯の紹介
2023年12月、悪性リンパ腫(難治性DLBCL)が発覚。
腰椎付近原発のため骨髄浸潤まで認められるハイリスクグループ。
治療経過:
初回治療 Pola-R-CHP療法(抗がん剤)→寛解ならず
ブリッジング治療 エプコリタマブ(分子標的薬)と放射線→奏功ならず
二次治療 CAR-T細胞療法(免疫療法)→奏功ならず
2024年12月、標準治療では治療方法がないと末期宣告される。
現在、アーユルヴェーダ、アロマセラピー、漢方を併用した自家代替療法を実践中。
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結婚記念日の翌日、リビングに
レンタルの介護ベッドを搬入し、
訪問看護の申し込みを済ませ
夫は退院しました
やっぱり、元気になるには
家に帰って過ごすことが
必須だと思ったからです
そうこうしている間に、
フアイアの服用開始から1カ月が経過しました
「効果が現れてくる」と言われたこの1カ月が、
勝負の分かれ目です
なんと、LDHの数値は
ずっと退院した時の1300のままでした
ここでLDHの数値が
さらに下がってくるようなことがあれば
漢方でガンを抑えこんでいると
十分に考えることができましたが
残念ながらそこまではいきませんでした
それでも、右肩上がりのはずだった数値が
1ヶ月全く上昇がなく
体のあちこちに痛みが出てもおかしくないのに
治療終了時から大きな痛みもなく
穏やかに過ごせているのは
漢方やアロママッサージのおかげだと
思わずにはいられませんでした
だって、それ以外には
これといって何の治療もしていないのです
退院中は
来年小学校にあがる長男が
届いたばかりのランドセル姿を見せたり
一緒にリビングで好きな映画を見たり
少しですが夫の好物の
唐揚げやガーリックシュリンプを
作って食べさせることもできました
退院後の夫の容態は
だいぶ良くなっているように見えました
まだ日中のほとんどはベッドの上での生活でしたが
表情や会話がしっかりして
腫瘍そのもので痛みに苦しむこともなく
飲食のペースも
少しずつですがよくなっていました
腎機能の数値もかなり回復し、
年末にひどかった全身のかゆみや強い眠気も
だいぶマシになってきているように見えました
ですが、子どもが出入りする
家庭での在宅看護には、
感染症という別のリスクがありました
あと何日生きられるかわからないのに
子どもたちに会うことを
制限するなんてしたくなかったので
家では感染覚悟で
子どもたちと普段通り過ごしていました
1月19日、夜間に39度の発熱があり
翌日20日の夜も再び発熱。
夜中に意識混濁、ふらつき、
手足に力が全く入らないなどの
症状が現れはじめ、
在宅看護では安全を確保できないと判断、
感染も疑い、1週間ぶりに再入院となりました
正直な話、私は入院と言われるたびに泣いていました
在宅看護は決して
楽ではありませんでしたが
家族として同じ空間にいて、
同じ景色、同じ会話を共有することが
今一番大切なことでした
夫が死んだら、夫の中に残った記憶は
全て消えてしまうのだから
どれだけ素晴らしい思い出を
沢山作ったところで
生きられなくちゃ意味がない
そんな考えもあります
動物の仕事をしていて
人間も動物も本質は同じであると
考えているので
「死んだ人の魂が残る」なんていうのは
死を受け入れられない人間が
想像力によって生み出したもので
実際は人間も他の生命体と同じく
体という実態が止まれば
その体内に記録されている記憶も人格も
全て一緒に消えてしまうと
私自身考えています
でも生きているこの瞬間を
夫の脳に残すことはできなくても、
私や息子たちの記憶にしっかりと
刻みつけることはできる
亡くなった方が生き続ける唯一の方法は
生きている人たちの記憶の中で
生き続けることだと考えています
特に次男はまだ3歳で
しっかり父の記憶を植え付けなければ
大きくなった頃には
ほとんど忘れてしまう年齢です
だから、夫にはまだ
もう少し頑張ってもらわなければ
その後抗生剤の投与などで再び症状は落ち着き
はっきりしなかった意識も
ある程度会話ができるレベルに回復、
歩いて行けなかったトイレも
再び歩いて行けるようになりました。
そんなわけで、
入院のたびにもうだめかと
毎回泣かされながらも
素晴らしくしぶとい回復力で
毎回前を向く勇気をもらっています
今、病室で目の前の夫は静かに眠っています
苦しそうな様子は全くありませんし
起きているときは
あまり会話もできないにもかかわらず
「パパ大好きだよ」
と話しかければ、
「ママ大好きだよ」
と笑顔で返してくれます
夫の受けた初回の抗がん剤治療
Pola-R-CHPは
通常80〜90%の人は
一度は寛解すると言われるほど
副作用も少なく
治療成績の良い最新のお薬でした
それが寛解に至らなかった時点で、
夫の体内にできたのは
普通のガン細胞ではありませんでした
ものすごく増殖力が強く
抗がん剤への耐性のある
恐ろしいほど強い型だったのです
病院に説明されたのは、今後の治療も
寛解する可能性は2〜3%である、と
それを聞いた時は、
いや無理じゃん、どうしろと?
と絶望するしかありませんでしたし
沖縄離島から福岡までCAR-T細胞療法を
受けにいくのも
半年間ほとんど家族と会えない日々
でも、やはりCAR-Tという最高の治療を
保険適用で受けさせていただくことが
できたおかげで
激しい痛みから解放され
退院できたのは事実です
漢方のフアイアは
例えば余命宣告から1ヶ月延命できたとして、
その1ヶ月で元気に会話して、
少しでも好きなものを食べ、
自力でトイレにも行けて、
家族友人に笑顔を見せられる機会が
十分にあったということ
これを高いと思うか安いと思うかは
ご家族の状況にもよると思いますが、
私はフアイアに関しては
チャレンジしてとても良かったと
感じています
夫に関しては、関わってくださった
医療者や家族親戚友人全て
素晴らしい人ばかりでした
1週間前のまだ会話がしっかりできていた頃、
笑いながらこんな話をしました
「こんな難治性のガンを引き当てるなんて、
パパはホントに引き運が悪いよね😅
だけど、あなたの周りの人は、
お医者さん看護師さんも友人も、
本当に素晴らしい人しかいない。
あなたは、自分自身の運は悪いけど、
『周りの人の縁』という運に関しては
最高に恵まれている」
夫が素晴らしい方々に想われ、見守られて
ここまで来れたことは
妻である私にとっても幸せです
今の状況だと、
もってあと1週間程度かもしれませんし
ここからまだ奇跡の回復があるかもしれません
どちらの結果だとしても
できることを全力でやり尽くした結果なので
後悔はないと思います
次の投稿は、その後のご報告の
投稿になるかと思いますが
少しでも良い報告ができるよう
祈っていただければと思います😌