SNSに生きている。
SNSをやめたいんですよ。SNSというかXなんですが。インスタがすでに亡くなっているので、私の中のSNSといえばXなんです。もうTwitterと言うのに抵抗が出てきてしまったのでXと書かせていただきます。
なぜSNSをやめたいか。自分と違う意見を見ると疲れるから。SNSなんて他人の知らない意見の大海原じゃないですか。タイムラインをちょこっとスクロールするだけで大量の意見が流れ込んできますよね。それがね、徐々に私の何かを侵食している。本当に海と一緒なんだな。私の中にある何かを、まあ、わかんないですけど、精神としますよ。その、精神の岩が度重なる意見の波によってどんどん小さくなっている。再生もするんですが。削られるために再生している、みたいな状況になったらいけない。
私は、根本的に自分以外の誰かを受け入れられないような気がしてるんですよ。無理にそういうことをしたくないというか。やろうと思えばできるのだろうけど、それをすることによってまた、すり減る。疲れるんですよ。人と一緒にいると疲れるっていうのはわりと多い考えだと思います。私もそういう人間なんですけど、やっぱりそういう人間に共通していることは、人といると疲れる癖に、長いこと人と一緒にいないと苦しくなってしまうということだと思います。完全に矛盾していますよね。苦しいところから人と一緒にいるために必要な行為が、とても疲れる行為であると。つかれてばっかりですよ。
エネルギー変換効率が悪い。すぐに疲れて揺れているから、ぱっと、死にたい。とか言ってしまうんでしょ?そうですよね。別に死にたいわけないよ、私は。今、静かに消えたところで誰も覚えてくれていないだろうし。(誰か覚えてくれようとしている人がいたらすいません。)死にたいって言ったときに、誰かが自分のとこにふわっと舞い降りてきて「だいじょうぶ?」ってひらがなで言ってほしいんでしょ?私は言ってほしいね。こっちから行くと、削れてしまうから。自分から行っても削られない人たちよ。たのむ、来てくれ。
で、なんでSNSをやめれないかというと、やめてしまうと、私は簡単に消えてしまうからです。インスタだけでつながっていた人たちはもう私の世界から消えてしまいましたし、あちら側の世界からも私は消えてしまったのだろうと思います。忘れないでほしいのに、私はどんどん忘れます。人の名前とか憶えていられないし、たいてい最初から覚える気がないです。だからやっぱり忘れてもらってもいいですよ。忘れてください。あの、一ついいですか。「こちらあみ子」これだけは忘れないでください。私のことは何回忘れてもらってもいいです。けど、「こちらあみ子」だけは忘れないでください。まず、読んでね。私は「こちらあみ子」だけは忘れないよ。たぶん…。
SNSを消すだけで消えてしまうなら私はSNSのなかに生きてるんじゃないの?やだなー。
別に病んでないです。考えをまとめただけ。病んでたのは昨日。
あ、あと言いたいことあります。嫌いな奴の心臓を一回ぶち抜いて、すぐに戻したい。あのージョジョ四部の仗助が母のおなかの中にいるアクアネックレスを、壊したガラス容器と一緒に腹をぶち抜いて捕まえるシーンみたいに。わかりますか。わからないか。でも、無明逆流れよりはわかるよね。