コロンビア大学という病
1:コロンビア、全米2位になる
2021年9月、FacebookやLinkedInのフィードはやけに騒がしかった。
“Go lions!” (コロンビア大生の別名)🦁
私の大学時代の友人たちが、コロンビア大学がプリンストン大学に次いで全米2位になったというUSNewsの大学ランキングの結果を誇らしげにシェアしており、ついでにそんなところを卒業した自分の能力の高さを遠回しにアピールしていた。
私も自分の学歴に更に箔が付いた気がして、優越感を覚えた⤴️
2: 私がコロンビアに行った理由
そもそも私がこの超名門大学を目指した「本当の」理由は、1️⃣刷り込まれた親の学歴コンプレックスと2️⃣ 私自身の承認欲求だと思う。なぜなら目指していた国連が所在する都市の大学に進学したければ、ニューヨーク大学でも良かったはずだ。それをわざわざアイビーリーグを選んだ理由は、上記の2点を加味すれば説明がつく。
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私の母は大学1年生の時にひとり親が心臓発作で突然他界し、兄弟もいなかったので建てたばかりの家のローンを19歳で背負った。母の東大卒の父親は彼女が8歳の時に離婚して以来消息不明だったため、大学を中退してすぐに働かざるを得なかった。
元々親に似て非常にインテリだった母だが、有名大学に行っていたわけではない。それでも大学は卒業したかっただろう。高卒である事実をかき消すかの如く、働き始めてからの武勇伝を酔っ払う度に繰り返していた。そして自分の知識をひけらかし、母の思う「常識」を知らない人間は子供でも軽蔑していた。
父は、料理人を目指す前は弁護士になりたかったらしく、早稲田を3浪したという話を祖母から聞いている。流石に3度目の正直が叶わず大学進学の道は諦め、今度は漁師や僧侶など寄り道した挙句、ホテルのフランス料理レストランに落ち着いたようだ。母とは異なり、その後世界の広さを体験した父は、日本の学歴にはもう縛られていないように見えた。しかしどこかで、登頂できなかった山として「学歴」が影を落としていたのかもしれない。時々、学歴や社会的地位のある人を馬鹿にする節が見受けられたから。
私にも学歴コンプレックスや劣等感は幼い頃からあった。私は4人兄妹の末っ子で、年子の3人から数年離れてポロっと生まれた。それもあって就学している兄姉との成長の差がとても大きく見えた。更に、3番目の姉がお勉強が得意だったものだから、母は出来のいい自分の遺伝子と指導の賜物だと手放しで喜んだ。
そして3番目の姉が私の比較基準となり、「あの子はあなたの歳であれができたのにあなたはまだできないの!?」と比べられた。中学校に上がってから上位20番以内に入ったとしても、毎回1番だった姉を思い出しては、「普通だ。」と鼻で笑われるのだった。
そんな生活を送っていく中で、他者からの評価や成績が実際よりも高いように嘘をつく癖ができてしまった。褒められていないのに褒められたエピソードをでっち上げたり、悪かったテストは無かったことにしたり、満点の小テストは私だけ満点だったことにしたり。嘘と見抜いていただろうが、一瞬でも信じた母が嬉しそうにするのを私は見逃さなかった。
もちろんそんなことをしても正式な評定や番数が姉ほど良くないので、意味がないのだけれど。
それもあって私は、姉と比べられることのない音楽の道を極めようと路線変更したのだ。だから「学業」の道に戻った時、私は母にただ認めてほしい一心で、姉や周囲と比べられない「世界」の高みを目指したのだと思う。実際コロンビア大学に合格した時、歓喜する両親を見て、別次元の学歴を手に入れたことで親や社会に認められただけでなく、2人の一生分の学歴コンプレックスまで解消されたような気がした。
3:馬鹿がバレる恐怖
ところが長年培った承認欲求や自己効用感の無さは第一志望の大学に入った瞬間なくなるはずもない。大学時代、私は常にimposter syndrome(インポースター症候群)に悩まされていた。自分の能力がどうしても信じることができず、テストのたびに、自分がここにいてはいけない人間だと暴かれそうな気がして居た堪れなかった。
それでも超秀才・天才に囲まれながらごまかしが効かない大学で、私が「できない人間」だということがバレないように、寝る間も惜しんで勉強した。
結局優等の成績で、哲学科と社会学科で二重専攻し無事卒業できた。だから自分が卒業した大学がランキングで上位に位置することは、自分の努力や能力の評価も上がる気がして、承認欲求が満たされたのだ。
4:コロンビアの嘘と真実
2022年2月、私のSNSのフィードはやけに静まり返っていた。ニュースの見出しにはコロンビア大学の名前が踊っているのに。
コロンビアの数学の教授らが、コロンビア大学がランキングに使われたデータの一部を改ざんしていると告発したのだ。その後間も無くして、大学側も、古くしかも間違った計算方法でデータを算出したと改ざんを認めた。そしてその翌年、コロンビア大学は2位から18位へと転落し、最終的にランキングのためのデータの提供をしないということをイェールとハーバードに続いて発表した。
もちろんこのスキャンダルは、組織学、社会学、心理学、ビジネスなど、様々な観点や学問から説明することができる。
しかし私はこの一件、頭より心で、そして理論より感情で、理解した気がした。卒業から10年、初めて自分がコロンビアに芯から属していたことに気がついたのだ。母校は、親に認められたくて嘘をついていたあの頃の私と一緒だった。「わかるよ!コロンビアちゃん!」と、つい抱きしめてあげたくなった。
コロンビア大学という病は、この環境で育てば当然な気もする。プリンストン、イェール、ハーバード、と優秀な年上、格上の兄弟大学たちと常に比較され、遂には嘘をつくことが常習化してしまっていたのだろう。私たちは結局、類友
- 承認欲求を求めて集まった人間の集団だったのだ。そしてImposter syndromeは、私個人ではなく、コロンビア大学全体の病だったのかもしれない。承認欲求を満たしに行った大学が最強の「承認欲求オバケ」だったとは、なんというアイロニーだろう。
同時に、それを暴く告発者が内部に存在するところも、なんともコロンビアらしい。
事実コロンビアはこのスキャンダル以外にも格差やエリート主義など問題も多いが、私の「属しながら批判的に組織や社会を見る力」を養ってくれた場所だ。
1年生では手取り足取りの赤ちゃん期、2年生では世界を探求する子供期、3年生では大学や社会などの権威に懐疑的な反抗期、そして4年生では俯瞰してものごとを見て自分意見や価値観を形成する青年期、とも例えられる成長過程を寛容に、暖かく見守ってくれた。
データを改ざんしたことは悪いし許されるべきではない。しかし、数値化できない部分においてコロンビアはたくさんの素晴らしい特徴を持っていることも確かだ。大学全体の学びに対する熱量はもちろん、そこで出会った友人だけを切り取っても、高い学費を払った甲斐があったと思えるほどいい仲間に巡り会えた。
5:順位至上主義から個性探しへ
海外大学合格実績などでその大学の世界ランキングを掲載する塾や学校をよく目にする。それには一体どんな意味があるのだろうか。
こんな不安を煽りながら扇動するマーケティング的なメッセージが隠れている気がする。
現実問題、日本で最も大きい学部留学向けの財団のいくつかは、シンプルに世界でトップ50のランキングに入っている指定校でないと支援しないと断言している。
しかし大学にもパーソナリティ、個性がある。子どもが偏差値だけで評価されるべきでないのと一緒で、もっと大学も社会も、ランキング云々ではなく、それぞれの個性に着目していくべきではないだろうか。そして大学を選ぶ側も、ランキングに囚われず、どんな想いで創られ、運営されている大学で、どんな性格なのかをとことん知ろうとする努力が必要だ。
海外には、ランキングに入ってなくても素晴らしいスキルや感覚、人脈を得られる大学が山ほどある。これから留学予定の人にはそれをもっと知って、自分のオプションを広げていって欲しい。
そして私の仕事は、生徒たち自身が、自分の軸を見つけ、中身で大学を選ぶ手伝いをすることでもある。
あの日スキャンダルの中、他人のフリをして身を潜めていたコロンビアの卒業生が、「ランキングなんかクソ喰らえだ!コロンビアにはこんないいところがあるんだ」と叫べるような風潮になることを、切に願う。そして留学して帰ってきた日本の学生たちも、大学の表面的なランキングで会社や社会に判断されるのではなく、どんな個性的な成長を各々の学び舎で遂げたかを問われるような未来になってほしい。
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