あなたを受け止める木でありたい
〜なぜ駄菓子屋のおばあちゃんになりたいのか〜
三人兄弟の末っ子で、自分より小さい子がいないので、年下の扱いには慣れていなかった。
その延長で、大人になっても子供には苦手意識があった。子供が好きとか嫌いとかの感情も無かった。
自分に子供ができて、それが徐々に変わった。
いつの間にか変わっていた。
子供という存在に、何の垣根も無く入って行ける。
自分の子供の生き辛さに触れ、私が世の中を見る見方も芽生えた。
私は子供たちが伸び伸びと生きて行ける社会を望むようになった。
私は、子供たちを操作したくない。「そうじゃないでしょ。こっちでしょ」と矯正したくない。
すべての子に「それでいいんだよ」と言ってあげたい。
(実際は…口も手も出しまくって来ましたが😅ナハハ)
そこから私は、子供たちの話をとことん聞く人になりたいと思った。何も話さなくても、いつも見守る人になりたいと思った。
そのイメージが、「駄菓子屋のおばあちゃん」に
結びついたのです。
いつもそこにいるおばあちゃん。すべてを受け止めるおばあちゃん。
子供たちがなけなしのお金を握りしめ、気軽にお菓子を買いに来られるそんな場所。ポロッと本音をこぼせる場所。ほっとできる場所。
私にとってそんな存在の、木がある。
変わらぬ場所で、素朴に、悠然と、美しく在る
その木のように、私も存在したい。
「おいで」と語りかける木のように。
子供? いや本当は、子供だけでなく、全人類の
駄菓子屋のおばあちゃんになりたい。