わたしは一体何を見ているんだろうの先にあるもの
「疫病祓われ〼」
今年も大山町長田で「イトナミダイセン藝術祭」が開催されています。初日の夜公演で目黒大路さんの舞踏を観ました。
目黒さんといえば、一昨年前に同じくイトナミダイセンで披露された住民ミュージカルが素晴らしくて、公演があると聞くと観に行かずにはいられない体になってしまいました。
そしてnoteの2つ前の記事に昨年の公演のことを書いていました。あっという間の1年だったのか、目黒さんの舞踏を見ると何か書きたくなるのか、どちらにしても不思議なことです。
今回の公演は疫病神。
顔は能面、青いビニールシートを身にまとい、「疫病祓われ〼」と大きく書かれたのぼりを持った何者かが、疲れた様子で舞台であるガガガ学校に入ってきます。ラジカセのスイッチを入れると、まるで選挙カーから流れる音声のように「お騒がせして大変申し訳ありません。疫病神でございます。」と始まるわけです。
お騒がせして申し訳ないので、私、祓われます、と。
小豆をぶつけられて弱っていく疫病神を見て、わたしは一体何を見ているんだろうと思いました。
美しい身体
身体はどこまで表現できるんだろう
限界を超えた動きをしている筋肉や骨
そこに存在している肉体
死んでしまうのか
自分に小豆をぶつけろという浅はかさ
諦めとわたし達の無力さ
そしてそれを超えるしたたかさと
着物を脱ぐごとにパワーアップするという変態さに少し救われる自分
一体何を見ていたんだろう、の先に見ていたものは、こんなものだったのかどうか。
3年前、目黒さんのエビス様の舞を観て無邪気に笑っていた頃が懐かしいと思うのです。
でも、世界は変わるしわたしも変わる。
わたしが変わるから世界も変わる。
公演後、わたしの手の中に残っていたのは、最後まで投げつけられなかった小豆と、お賽銭の要求と引き換えにもらったお守りでした。
わたしたちは、わたしは、美しくて浅はかで無力でしたたかで変態に生きていくのだと思います。
変わらないものもあると嬉しいなと思いながら。
ちょっと優しい世界の中で。
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