誉めて伸ばす、は本当か?
親が子供の劣った部分、至らない点、欠点、失敗などにばかり着目し、
あら探しをするかの様に、指摘し、叱る事が、
子供の健康的な心の発達を阻害する事は、分かり易いと思っています。
ならば昨今、巷でよく耳にする、「誉めて伸ばす子育て」が理想的なのでしょうか?
私は、叱ってダメなら誉めればよい、という様に、簡単な話しでは無い、と思っています。
子供を誉めることが、時として、子供を縛り、追い詰め、苦しめる事になるから、です。
確かに、子供の欠点や失敗をあげつらって叱る事は子供に、無価値の思い込み、を植え付け、
植え付けられた子供は、自分には価値が無い、自分は劣っている、という自己像を確立してしまいます。
何をやっても、どうあがいても、自分は下層の存在だ、と決め込んでしまいます。
それでは…、という事で、誉めて伸ばす子育てを実践する、とします。
何でもかんでも誉めます。
意図的にそうします。
すると子供は、何でもかんでも誉められるに値する自分でなければならない、という強迫観念に追いかけられる様になりがちです。
誰にでも、得意不得意、好き嫌いがありますが、何でもかんでも誉められなければならない、という強迫観念に追いかけられると、
得意不得意に関わらず、好き嫌いに関係無く、
自分は、上層、に位置しないといけない、という意識に縛られます。
叱ってもダメ、誉めてもダメなら、放任するのか?
放任もよろしく無い、と思います。
好きの反対は、嫌いでは無く、無関心です。
親という、子供にとって最も関心を持ってもらいたい対象からの無関心は、子供の心に多大なダメージを与えます。
叱っても、誉めても、放任してもダメなのであれば、どうしたら良いのでしょうか。
子育てに正解は無く、親は必ず間違います。
子育てに完璧は無く、育つ過程で子供はひとり残らず、心に傷を負います。
ただ、その心の傷が深くなり、やがて生きづらさを抱えてしまうのか、
それとも、傷はついても、浅い小傷程度に収まるのかは、
親の心の有り様ひとつ、です。
永く密な関係性である親子であれば、
親は時に踏み越え、時に至らず、躓き、ぶつかり、転びます。
叱る事もあれば、誉める事もあれば、関心が行き届かない場面も多々ある筈なのです。
子供はその都度、心に沢山、小傷を作ります。
親子関係に休みは無く、毎日毎時ずっと続くのですから、子供は心におびただしい数の親子関係による小傷を作ります。
心の小傷は深くならなければ、生きづらさには変わりません。
生きづらさには変わること無く、小傷は、その子独自の、この世に二つと同じものが無い、個性になります。
優しいけれど、少し引っ込み思案、
元気いっぱいだけれど、少し慌てん坊、
といったその子の個性は、心の小傷で出来ています。
個性は即ち、その子の人間味、その子の深み、とも言い換えられます。
では、何が日々作られる、子供の心の傷の深さ、を決定づけるのでしょうか。
何が深い傷を作って、生きづらさを生み出し、
何が傷を浅く留め、その子の個性になるのでしょうか。
傷の深さを決めるのは、親が子供に働きかける時の、動機、です。
親の働きかけの動機が、意図、なのか、思いやり、なのか、という違いです。
働きかけの動機が意図である場合、子供をコントロールする事が目的です。
そもそも親が強い立ち場で、子供が弱いというパワーバランスの偏りが顕著な関係性に於ける親の意図とは、
働きかける側の感情を対象に押し付ける事に他なりません。
つまり、強要する、という事です。
思いやりは、相手を人として尊重する先に発生します。
親は、必ず失敗しますから、
つい自分の感情に任せて叱ってしまう、
つい誉める事に、意図が混ざり込んでしまう、
つい関心が行き届かない、
そんな事は、幾らでもある事です。
ただ、親の情緒が、子供を人として尊重出来る程に成熟しているか、
尊重する先に発生する思いやりがあるのかどうか、が、
子供の心の傷を生きづらさにしてしまうのか、
その子固有の個性を育てるのか、
を分けるのです。
よく「子供に教えられる。」「子供と共に親も成長する。」などと言います。
まさしくその通りで、
親になった時点で、親として充分な情緒の成熟を遂げている人の方が稀なのかも知れません。
だから、失敗し、躓き、ぶつかり、転びながら、子に教えられ、子と一緒に親も成長するのだと思っています。
親になった時点で、情緒が未成熟であっても、それを自覚し、
子に教わる、子と共に成長する、という視点を持てる人は、
人間味溢れる、個性豊かな子を育てると思います。
「誉めて伸ばす」という情報の根底を捉えないままに、
それを、子育てのテクニック、と解釈するのは、とても危険です。
子育ては、
テクニックでするものでは無く、
この子を思いやれているかどうか、
その一点に尽きる、と思っています。
子育て奮闘中のお父さん、お母さん、
たくさん失敗して、
たくさん思いやって、
一度しか無い、
その子の成長の過程を、
一緒に歩いて欲しく思っています。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム