私の育った家庭は機能不全家庭です。
両親は共に過酷な幼少期を過ごし、心の中に重大な無価値感を抱える者同士の夫婦です。
父は私が高校生の時に50代で他界しました。
母は齢85歳を過ぎて、衰えたとは言え存命です。
私は、父からも母からも虐待を受けました。
父は9歳の時に父を除く家族(両親と妹3人)をいっぺんに失う悲劇に見舞われ、その第一発見者になるという滅多にはあり得ない残酷な経験をしています。
天涯孤独になった父は会ったこともほとんど無い親類の間をたらい回しにされます。
そもそも突然、親を亡くした父を捨て置く訳にもいかず、世間体を気にして親戚間を数年おきに担当交代をする取り決めの元、父をあずかったそうで、
誰も親身になってはくれず、父は何処に引き取られても厄介者の立ち位置で、かなり辛い少年時代を過ごし、
二十歳になる前に、徴兵され戦地に赴きます。
父には少年時代も青春時代も無かったのだと思いますし、
唯一子供らしい時期を過ごしたかも知れない幼少期も、
家族を失う凄惨な場面をもって終幕を迎えている事を思えば、
過酷としか言いようがありません。
母は離島で小学校の校長を勤める父親と専業主婦の母親の間に7人兄弟姉妹の真ん中、四番目に次女として生まれます。
今とは違って学校の先生は聖職者として世間から認知されていた時代です。
ましてや日本の本土からは船で4〜5時間もかかる離島であり、
ましてや校長先生は島民から崇められる存在だった様です。
定年退職した後に、離島で教職に従事し勤め上げた功績を認められ、昭和天皇から勲章を授与された事を見ても、島民からは一段も二段も上げて崇め奉られていた事は間違い無さそうです。
私が母方の実家に夏休みを利用して遊びに行った時は、もう祖父は教職を引退した後だったにも関わらず、
島のどこに行っても「◯◯先生のお孫さん」と特別扱いをされた覚えがありますので、
母を含む七人の兄弟姉妹は良くも悪くも、さぞかし特別視されたのだと思います。
加藤諦三氏の著書に、
「地元の名士や有力者の家系に心を病む人が現れる事が少なく無い」
との指摘が度々出て来ます。
これは、その様な家系の方を揶揄するものでは勿論無く、
加藤氏ご自身が大学教授のご子息であり、心のことに苦しまれた経緯が有っての考察や指摘です。
私は加藤氏のこういった指摘を著書の中に見つける度に、母方の家系が思い出されました。
そして、なるほどと深く納得しました。
今思えば、そんなに偉いものでもありませんし、
特別な人間でも無いことは明らかなのですが、
時代背景と離島という閉じられた小さなコミュニティの中で崇め奉られた為に、
特別な家族になってしまったのだと思います。
母は生まれた時から、◯◯先生の娘だったのです。
対外的には飛び抜けて気の利いた子供である必要があったのだと思います。
孫の私が島に渡ると、島民の人々から特別視されていることを、ひしひしと感じるくらいなのですから、
母はよほど特別だったのだろうと察しがつきます。
母は幼少期の記憶が鮮明ではありません。
これは、私が母の子供として育ち、私の体験と照らして理解できるのですが、
私の幼少期の記憶の曖昧さは、感情を偽り、何者かにならざるを得なかったことに原因があります。
親の望む子供になって見せなくてはならないのですから、自分の本当の感情はないがしろにして、
親が望む反応をして見せる訳です。
どんなに泣きたくても親が朗らかな子供を望んでいると察すると、
ことさらに、お釣りが来るほど笑って見せるのです。
だから、幼少期は出来事に対して表出するのは偽物の感情、親の顔色を見て作った感情なのです。
本当の感情は置いてけぼりですから、自分はいつも感情が伴わないので、
自分の事が他人事、記憶にも残らないのです。
おそらく母の幼少期の記憶の曖昧さは、自分の感情をないがしろにして、親の望む「校長先生の娘」になり切る必要性がどうしても有ったのだと思います。
母の昔語りを聞くと、幼少期の記憶は述べた様に極めて薄いのですが、
少女時代、そして成人してからも、
親の望む学校に進学し、
親の望む友人と交際し、
親の望む就職先に勤め、
その事に何の違和感も感じておらず、
二言目には、「お父さんが決めたから」という言葉が発せられます。
時代もあります。
今の様に個の自由が認められてはいないでしょう。
立場もあります。
島の校長先生の娘は特別にきちんとしていなくてはならなかった筈です。
母には子供らしい子供時代が無かったのだと思っています。
母は幼い時に甘えの願望は全て抑え込んで、
懸命に親の望む子供になっていたのでしょう。
どちらがどうだ、と比べる事は適切ではありませんが、
母は私から見ても、よりがんじがらめだったのだと感じます。
父と母の育った境遇は全く違うというよりも、対極の様な気がします。
父は天涯孤独で厄介者として親戚の家をたらい回しにされ、
母は島という閉じられた世界で崇め奉られる親の娘として育ったのです。
厄介者と神様の娘という、
対極の環境に在りながら、
共通しているのは、子供らしい子供時代が無かった事です。
そして父も母も心の中に重大な無価値感を抱えるに至るのです。
母は現状、どう考えても人生の最終コーナーを回った年齢です。
【自分】が無いままに生きました。
満たされなかった自分の中の甘えの願望にも気づいていません。
いまだに自分の両親は「優しかった」と言います。
そして、自分は「優しい親だった」と思っています。
母は閉じられた小さな世界の神様の娘として生き、
ついぞ心の中の【自分】と対峙することは、ありませんでした。
ファンタジーの中でしか生きられないのだろうと思っています。
それが、
母が選択した、
母の人生です。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム
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