恩着せがましく、恨みがましい人の心理
恩着せがましいが、恨みがましくは無い、という人や、
恨みがましいけれど、恩着せがましく無い、という人は、
先ず居ないと思っています。
恩着せがましい人は、同時に恨みがましい人でもあります。
どうして、そうなってしまうのかという事を突き詰めて行けば、
その人の、心の傷、に行き着くのですが、本記事では主に、行き着く手前の、恩着せがましさや、恨みがましさの構造的なところをお話し出来れば、と思っています。
恩に着せるのは、その人が優位に立ちたいから、です。
どうして優位なポジションに立たなくてはならないか、というと、
その人は自分を、無価値だ、と思い込んでいるから、
自分を、劣っている、と感じているからです。
自分には価値が有る、と思えていたなら、いちいち自分の優位性を他者に証明する必要はありません。
価値の無い自分、劣っている自分だからこそ、常に他者よりも自分が優位だと証明しなくてはならないので、
どうしても、恩着せがましくなってしまいます。
恨みがましさは、他者に過剰な期待を寄せ、他者がそれに応えない時に、生じます。
恨みがましい人は、他者が応えない事を大いに不満に思うのですが、それはそもそも、期待が大き過ぎるのです。
どうして期待が大きく膨らんでしまうのか、というと、
自分と他者を心理的に切り分ける事が出来ないから、です。
切り分ける事が出来ないから、自分の希望や要求に、他者は応えるべき、という究極に押し付けがましい心理に陥り、それが叶えられないと、相手を恨みます。
恩着せがましさ、恨みがましさの最大値が現れるのは、恩を着せる側、恨む側が強い立場に立った時、です。
恩着せがましく恨みがましい人が、強い立場に立った時、
私のおかげ、お前のせい、という偏った構えが全開になります。
その典型例が、機能不全家庭に於ける親子関係です。
産んであげた、育ててあげている、という恩着せがましさです。
だから、お前は黙って従え、という支配の構えです。
こんなにやってあげているのに、
どうしてお前は出来ないんだ、
どうしてお前は優しくないんだ、
どうしてお前は弱虫なんだ、
こんなに思ってあげているのに、どうして応えないんだ、という恨みがましさです。
全部、親のおかげで、全てが子供のせいなのが、機能不全家庭の親子関係、です。
支配と従属の関係性です。
恩着せがましく、恨みがましい人は、つまり、
自分を無価値だと思い込んでいて、
自分と他者を心理的に切り分ける事が出来ていない人、と言う事が出来ると思います。
無価値な思い込みも、自他を心理的に分けられないのも、辿れば原因は、心の傷、です。
どうして心が傷ついたのか、と言えば、先に触れた親子関係によって、です。
親から支配された子は成長し、やがて親になった時、我が子を支配します。
その親は、支配と従属の親子関係に育ち、その親子関係しか知らないのですから、モデルケースは支配と従属の関係性です。
支配と従属に育った子は、親になったら子を支配します。
だから、機能不全家庭は世代間で連鎖するのです。
恩着せがましく恨みがましい人は、基本の心の構えが、支配と従属です。
本人に自覚はありませんが、自分がかつて身を置いた親子関係をモデルケースにして、その人は他者とコミュニケーションを取り、人間関係を構築します。
親から尊重され、充分に受け容れられる親子関係に育った人のコミュニケーションは、尊重する事、が根幹です。
そういった人からしてみたら、支配と従属の関係性を押し付けて来る人は、
とても恩着せがましく、とても恨みがましく感じられます。
両者が相容れる筈も無く、尊重する人の周りには、尊重する人が集まり、
恩着せがましく恨みがましい人の周りには、同様の人ばかりが自然と集まります。
支配と従属の中で育った人が、支配と従属が心地よいか、というと、そうではありません。
支配と従属の世界は、生きる基準が、優劣や上下や強弱や損得です。
そこは、満ち足りる事、とは縁遠い世界です。
親子であっても、友人であっても、恋人であっても、その人が構築する人間関係は、支配と従属、です。
常に自分が無価値である事、劣っている事を隠す為に、優位性を示し続けなければならないのですから、
満ち足りる事と縁遠いのは自明です。
その人が支配と従属の世界に生きたい、と思った訳では無く、
恩着せがましく恨みがましい人になろうと思った訳でも無く、
その世界しか知らず、その生き方しか出来なかったのだと思います。
人生のどこかで、
自分が見ている世界や、
自分の生き方に、
引っかかりを覚えたなら、
立ち止まって、自分を見つめて欲しいのです。
自分が無価値だと感じていたのも、
自分が劣っていると思っていたのも、
単なる思い込みだったと気がつくまで、
自分を見つめて欲しく思います。
思い込みに気がついたなら、
人生は選ぶことが出来る様になります。
支配と従属の世界を抜けて、
尊重の世界に生きることだって出来ます。
気がついたなら、
人生を選ぶのも、
在り方を決めるのも、
自分自身です。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム