活き活きと自分の人生を生きる、
軽やかな心持ちで人生を歩む、
と決めたなら、
無意識に衝き動かされる局面を、出来るだけ無くすことが大切だ、と思っています。
入って来る情報や、自分の心に棲み着いている固定した考えに、
何の疑問も持たず従う事は、人生を蔑ろにする事ではないでしょうか。
入って来る情報や、棲み着いている考えは、
心という部屋のフロアーに雑然と散らばっています。
無意識に衝き動かされる状態は、そのフロアーに散らばった物を、
無造作に、無作為に、拾い上げて、
その物が何であるか、という事をろくすっぽ確かめずに、採用する、という事です。
入って来る情報とは、テレビやネット、周囲を取り巻く他者からの情報です。
例えば、
テレビで、マスクが不足していると騒ぎ立てると、慌てて薬局に走り、
メディアが叩く人物を、そのまま極悪人と認定し、
あの人がこう言ったから、こんな話しを耳にしたから、それに従って、考察を加える手順を省きます。
心に住み着いている固定した考え、とは、
普通は、常識的には、一般的には、
こうする「べき」という考えで、根拠を説明出来ないのに、固く信じ込んでいる事です。
いつの間にか、心に信念の様に貼り付いていますが、出どころは、主に親であり、時に学校です。
入って来る情報の全てが間違っている訳では無く、
棲み着いている考えの全てが悪い訳でもありませんが、
心という部屋に散らばった、それら、を確かめる事なく、無条件で採用する事は、人生を蔑ろにする事、に他ならないと思っています。
オートマチックに採用するということは、テレビにしろ、他のメディアにしろ、親や学校であっても、
それらに、心を明け渡している、という事だと考えます。
どうして、雑然と散らかった床の上に、転がっている物を、無造作に拾い上げて、即、使ってしまうのでしょうか。
それは、とりも直さず、自分の価値を低く見積もり、自分の人生を軽く見ているから、だと思います。
自分に価値を感じているのならば、他者の尺度で測ったものを、鵜呑みにはしません。
鵜呑みにする事のメリットは、自分の尺度で測り直す手間が省けます。
楽ちんな訳です。
デメリットは、自分の尺度よりも、他者の尺度をあてにする度に、自分を頼りなく感じます。
自分の人生にコミットすることが出来ず、
自分の人生への参加意識は、益々、希薄になります。
自分の人生が他人事に思えます。
もう一つ触れておきたいのですが、
子供を利用して、自分の無価値感から目を逸らす親は、
心に棲まう固定した考えや感じ方を、フロアから拾い上げ、そのまま使う人の典型です。
拾い上げた物は、未消化の幼児的願望です。
未消化の幼児的願望は、親からもらった固定した考えと一緒に、フロアに転がっています。
つまり、
子供を利用する親は、無意識に未消化の幼児的願望に衝き動かされています。
かつて幼い頃、この親は、自分の存在を否定され、感情を拒絶され、子供らしい願望を蹴散らされて育った人です。
泣きたくても、親がそれを許さなければ、親が望む通りに笑ってみせました。
幼い子供は、本来、褒められたいし、自分中心でありたいものです。
注目を一身に浴びたいのです。
しかし、その幼児的願望は親によって乱暴に蹴散らされ、
やがて、大人になり、親になっても、その願望は未消化のまま、心という部屋の床の上に、転がっています。
その親は、床から拾い上げた未消化の幼児的願望に衝き動かされ、
我が子のことよりも、自分中心で、自分が褒められ、自分が注目されることを無意識に望みます。
結果、親という絶対的な力を使って、自分中心の世界に、子供を引きずり込みます。
メディアや他者の言う事を鵜呑みにするのも、
親や学校からもらった「べき」を疑いなく振り回すのも、
幼児的願望に衝き動かされるのも、
心という部屋のフロアに散らばった物を拾い上げて、考察を加える事なく、使ってしまう事が原因です。
フロアから拾い上げたなら、一旦、意識のテーブル、に並べるひと手間が足りていないのです。
並べて、しっかりと見定めて、自分の尺度で今一度、測ってみる事が必要なのです。
我が子を心理的に虐待しているのではないか、と苦しむお母さんは沢山います。
その母親は、無意識のフロアから拾い上げた物を、意識のテーブルに載せる事が出来た人です。
後は、見据えて、自分の尺度で測るだけ、です。
無意識のフロアに転がる物を、
意識のテーブルに並べる事は、
時に、とても怖く思えます。
最初は上手に測り直しが出来ません。
しかし、二度三度と測るうちに、
意識のテーブルに載せた物が判って来ます。
測る自分、を信用出来る様になります。
そうなったなら、
子供を虐待する事は、ありません。
活き活きと今を生きるなら、
軽やかに人生を歩むなら、
無意識のフロアに転がる物を、
意識のテーブルに並べる事は、
とても大切だと、思っています。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム