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抗って生きているから生きづらい

自分のこと、ってなかなか解らないものだと思います。

ましてや、何らかの出来事があり、生きづらさを抱えてしまった人は、尚更です。

生きづらい人は、大半の場合、自分の感情を蔑ろにしなくてはならない幼少期を過ごし、

その為に、自分の感情を掴まえることが極端に苦手になっています。

つまり、自分がどんな人間なのか、という自己像が極めて曖昧なのです。

自分の感情を蔑ろにしなくてはならない環境とは、親の感情を優先しなくてはならない環境、です。

親の顔色を伺い、親の感情を察知し、自分の感情を投げ捨て、親の望む感情を表現して見せる、までが受け容れて貰う為のルーティンです。

日々そのルーティンを守るうちに、その子は自分の感情なんて取るに足らない、
そんな取るに足らない感情しか生み出せない自分の存在なんて価値が無い、という、
無価値の思い込み、を心の内壁にべったりと貼り付けてしまいます。

すると、自分の長所も欠点もまとめて自分の愛すべき個性、などと言う捉え方が出来る筈も無く、

自分の個性が全部、短所に感じられます。

価値が無い自分の、触れたくも無い短所、です。

そもそも、長所と短所はワンセットです。
思慮深い人は、活発さが足りず、
活発な人は、配慮に欠けます。
長所と短所は、表と裏です。

それなのに、自分には価値が無い、と思い込んでいる人は、表は見えず、裏ばかりが、自分、だと信じます。
長所は無く、短所ばかりだ、と決め込んでしまいます。

そう決め込んで生きる人生は、苦しいものです。

余りにも苦しみが大きくて、その人は、自分の抱える生きづらさに気がつきます。

気がついてからというもの、その人は生きづらさを手放すべく、
本から、ネットから、知識や情報をインプットします。

本やネットから仕入れた情報には、
「自分を変える魔法の言葉6選」とか、
「不幸な私が幸せに変われた理由」などと言った文言が踊ります。
生きづらい自分を変えなきゃ、と思います。

しかし、自分を変えようとする事は、今の自分を否定する事、なのです。

それではかつて、自分の感情を投げ捨てて、親が望む子供になって見せた幼い頃の焼き直しです。

生きづらさを手放そうと決意を固めたのに、今また自己否定を再体験する事になってしまいます。

生きづらい人が今、やるべき事は、

自分を受け容れること、です。

本来ならば親から幼少期に、感情を肯定され、存在を尊重されることによって、心は健康的に育つ筈だった訳ですが、
親は、子供を受け容れるに充分な情緒の成熟を遂げておらず、
受け入れるどころか逆に、親自身を受け入れる事を子供に強要しました。

それは、幼児にとっては大変過酷な状況です。

子供は自分の事など放り投げて、親の気持ちを受け入れる事に全精力を注ぎ込みます。

そうやって、受け容れられるべき、幼少期に、受け容れられる事が無かった、生きづらい人、は、

生きづらさを手放そうとする今、取り組むべきは、自分で自分を受け容れること、なのです。

受け容れる、というのは、

価値が無い、というのは真実では無く、単なる思い込みである、という事を腹の底から解ること、

自分を嫌い、自分を責めて生きて来たけれど、そうやって生き抜いた事自体が既に尊いと知ること、

なのです。

つまり、自分には価値が有り、自分が生き抜いた道のりが尊いなら、

今の自分を否定する事など出来ません。

変わる事、を目標にする時、自分の価値と、自分の生きた道のりを否定する事になります。
切り捨てる訳です。

そうやって変化を手に入れた、としたら、
それは、自分の感情を投げ捨てて、親の望む自分を演じて見せた幼い頃を繰り返す事になります。

自分を切り捨て、演じる過去を繰り返しても、生きづらさを手放す事は叶いません。


たとえば、自分の中の怒りや苛立ちを我が子にぶつけてしまった時、

「こんな事をする自分はダメだ、もっと優しくならなきゃ!もっと良い母にならなきゃ!」

そうやって、自分を責めて抑えつける事で、望む変化は訪れるでしょうか?

望む自分に変わる事が出来るでしょうか?

自分の本当の感情を放り投げて、親の望む良い子になって見せたあの日と同じではないでしょうか?

自分の感情を捨てて、親の望む良い子になって生きたから、生きづらさを抱える事になったのです。

今、取り組むべきは、受け容れ、です。

親は受け容れる事が出来ない人でした。
それが原因で自分は生きづらさを抱えてしまいました。
親になった今、時に自分の生きづらさを怒りに換えて我が子にぶつけてしまいます。

その事を責めないで欲しいのです。
自分で自分を責めないで欲しいのです。
「あんな事があったんだから、仕方が無いよね。」
と、今の自分を受け容れます。

自分を受け容れたなら、今度は怒りをぶつけてしまった子供に謝ります。
「ゴメンね、お母さんが間違っちゃったんだ、〇〇ちゃんは悪くないんだよ。」

最初は自分を上手に受け容れられませんし、子供に上手く謝れませんが、間違える度に自分を受け容れ、子供に謝ります。

繰り返す事で、自分を責めなくなります。
子供を一人の人間として尊重するという事の意味が解ります。

そうなった時、
自分の価値を思い出し、
自分の生きた軌跡を尊く思い、
子供を思いやっている自分に気がつきます。
子供がかけがえの無い存在になります。

変わらなきゃ、では変わりません。

受け容れることでのみ、

望む自分に、

望む親子関係に、

望む人生に変わります。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム



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