他人が何と言おうと、ボクはキミがずっと大好き
生きづらさの最中に在る人は、変わりたい、と言います。
生きづらい自分を変えたい、と口を揃えて言います。
苦しんでいるのですから、変えたい、と思うのはよく解ります。
しかし、変わりたい、と思っても、
願っても、祈っても、
生きづらさを手放す事からは、離れてしまいます。
何故でしょうか?
変わりたい、という事は、今の自分を否定する事だからです。
生きづらさ、は見る角度によって様々な見え方をしますが、
言えるのは、生きづらい人で自分を大好きな人は居ない、という事です。
自分を嫌いで、自分を否定している状態が、生きづらさ、と言う事が出来ます。
本来ならば、自分の一番の味方は、親でも恋人でも親友でも無く、自分自身である筈です。
しかし、生きづらい人は、一番の味方である筈の自分自身の事が大嫌いなのです。
親や恋人や親友は、どんなに親しく近くても、四六時中一緒に居る訳ではありません。
けれども、自分自身、は離れたいと思ったとしてもずっと一緒に居る存在です。
大勢の中に居ても、一人で居ても、嬉しくても、悲しくても、晴れても、嵐でも、
いつも一緒なのは、自分自身、です。
生まれてから、最期の時までずっと一緒なのは、自分自身だけです。
だから、自分自身を嫌ってしまったなら、ずっと不快な気分が続きます。
その不快な気分が、生きづらさ、です。
生きづらさを抱えた人が、
自分を変えたい、という事は、
今の自分を明確に否定する事です。
今の自分の仕上がりが不満だから、ここでハッキリと見限ろうとする事です。
今の自分ではダメだ、今の自分は失敗作だ、という烙印を捺して、
お払い箱にしようという腹積もりなのです。
生きづらさを手放す、とは、
今の自分を丸ごと、受け容れる事です。
丸ごと受け容れた先に嫌でも、変化、は訪れます。
しかし、その訪れる変化は、
今日まで嫌い続けた自分自身を丸ごと受け容れた、結果、なのです。
今、生きづらさの最中に在る人は、苦しんでいます。
その苦しさを、何としても振りほどいて、心を軽くしたい、と思うのは無理からぬ事です。
しかし、重ねて言いますが、変化は求めるものでは無く、
ありのままの今の自分を受け容れた先に訪れる、結果、なのです。
変化を求める、という事は、
今の自分を切り捨てて、
新しい自分になろうとしている、という事です。
考えてみて下さい。
これまで生きて来る道のりで散々、変わろう、として来たのではありませんか?
変わろうとして変われなくて、変われない自分はダメな奴だ、と落胆し、
変われない自分を益々嫌いになる事を繰り返して来たのではありませんか?
元を辿れば、生きづらい人が自分を嫌いになったのは、
幼少期の親との関わり合いに原因があるのが殆どです。
親が親としての役割を果たせる程の心理的な成熟を遂げていなかったのです。
見た目は立派な大人でも、情緒は幼い子供のまま、だったのだと思われます。
子供が子供を育てる様なものです。
すると、その親は子供のありのままを肯定的に受け容れる事が出来ません。
子供が泣きたい気持ちでも、それを受け容れる事が出来ません。
親は、明るく笑って欲しい、という自分の感情を子供に押し付けます。
すると親子という圧倒的に親優位なパワーバランスによって、
子供は自分の泣きたい気持ちを投げ捨てて、
親の感情を優先させ、とびきりの笑顔を作ります。
笑顔を作るばかりでは無く、親が明るい子供である事を望んでいるのに、泣きたくなってしまう自分を、子供は嫌ってしまいます。
泣きたくなる自分はダメな子だ、と自分を責める様になります。
そんな幼少期を過ごし、その子は、
もっと明るい子にならなきゃ、と、変化、を求め、
泣きたくなってしまう自分、を否定します。
今、生きづらさに気がついて、変化、を求める事は、
幼少期の再体験、です。
今の自分はダメだ、と烙印を捺して、
お払い箱にしようとしています。
生きづらさに気がつくその事が既に尊い、気づき、と言えます。
その尊い気づきに至った自分を褒めて欲しいのです。
生きづらさに気がついた人が今、為すべき事は、
変化を求め、今の自分を見限って、自分を嫌って、自分を否定する事ではありません。
ありのままの今の自分を丸ごと受け容れる事です。
人付き合いが上手く出来ない、
約束が守れない、
嘘をつく、
そんな、ありのままの今の自分を丸ごと受け容れます。
見栄を張る、
他人を攻撃する、
無責任、
そんな自分を、受け容れます。
その為に、尊い気づきに至った自分を手放しで褒めて欲しいのです。
褒めたなら、今度は今の自分を受け容れます。
あんな幼少期があったんだから、人と上手く付き合えないのも無理は無いよね、
ちっちゃい頃から親の感情の面倒をみて、自分の感情が放ったらかしだったんだから、反動で我儘にもなるよね、
わかるよ、わかる、全部わかってる、それでも今、こうして気づいた自分はよくやってる、スゴい!
今、為すべきは、見捨てる事ではありません。
自分が自分の尊さを認め、
自分が自分を好きになる事です。
わかるよ、わかる、全部わかってる、
一番の味方だよ、ずっとだよ、
他人が何と言おうと、
ボクはキミが大好きなんだ。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム