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活き活きと生きる為の唯一の方法
悩みや不安に費やす時間は出来る限り短くしましょう、というお話しです。
それが出来ないから苦しんでいるんじゃないか、と言われてしまいそうです。
でも、出来ない、と決めつけているのは、悩みや不安にいつも捕まってしまう自分自身です。
出来ない、という決めつけを止めない限り、悩みや不安は失くなりません。
そもそも、悩みや不安に捕まってしまう人は、
捕まってしまう、と言うよりも、悩みや不安に自らしがみついている、という事に先ず気がつかなくてはなりません。
夫に対する不平不満ばかりを口にするその主婦は、夫婦仲を改善しようとする意欲はありません。
だからと言って、本気で別れるつもりもありません。
口をついて出る不平不満には、離婚という言葉は出て来ますが、何年も何十年もずっと言っているだけで、
傍目に夫婦仲は改善もしなければ、特に大きな変化も無く、
只々、不平不満ばかりが積み重なります。
会社についての不平不満が止まらないその会社員は、飲んでいてもシラフでも始終、文句を垂れ流します。
上層部は非情だ、社員の事など考えちゃいない、情に厚い自分は出世出来ない訳だよ、
などと取り巻く環境をぶった切り、自分は情の人だ、と結論づけます。
夫を悪く言うその主婦も、上層部をぶった切るその会社員も、
悩みや不安にしがみついています。
世の中には、信じられないくらい穀潰しの夫は居るでしょうし、
劣悪な環境のブラック企業もあるでしょう。
けれども、夫婦の事にしても、会社の事であっても、
本当に心底、我慢ならないならば、改善する行動に出るでしょうし、
改善が望めないならば、離婚なり転職なりする事も必要だと思います。
不平不満が口をついて出る人は、得てして、行動、が伴わない場合が大半の様に思います。
不平不満に埋没して生きる人は、自分の価値を低く見積もっています。
自分の価値を低く見積もってしまうと当然、その人には自信がありません。
自信が無いと、状況を打破したり改善したりする事が出来ない、と決め込んでしまいます。
自信が無く、打破も改善も出来ないと決め込んでしまったその人の人生は、それでも続きます。
人生は続きますが、自信が無いその人は動く事が出来ません。
動く事が出来ないその人は、行動しないまま、納得のいかない自分の環境を受け容れる為に、もっともな言い訳、を探します。
言い訳、は夫の非であり、会社の非です。
自分が不快なのも、苦しいのも、望まない日々を生きているのも、全部夫のせい、であり、会社のせい、です。
かくして、その主婦は何年も何十年も夫を悪く言い、
その会社員はいつも上層部をぶった切ります。
それは、納得のいかない自分の人生を、無理矢理に納得する為の、辻褄合わせ、です。
不平不満に埋没して生きる人は人生が、辻褄を合わせる為の場所、になってしまいます。
不平不満は、毒、です。
勿論、皆、普通の人間ですから生まれてから一度も不平不満を漏らした事が無い人は、おそらくいないと思います。
不平不満は思わず、漏れる、ものであって、
口を開けば…、という状態に陥ると、毒、はその人とその人の人生を蝕みます。
不平不満ばかりを口にする人で、満ち足りた日々を過ごす人を私は見た事がありません。
発した言葉は、行動に反映されます。
不平不満ばかりを口にする人は、その言葉に毒され引っ張られ、
発した不平不満に見合った行動をし、その行動によって、
行動に見合った現実を創り出します。
夫に非がある、と主張する主婦は、変わらない夫を駄目な亭主だと友人に話す事を先ず止めてみる事です。
会社が悪い、と主張する会社員は、上層部が非情だと同僚に話すのを即刻止める事です。
自分に非は無く、良い妻であり母であり、善良勤勉な社員であり、
悪いのは夫であって、会社の上層部である、という立ち場に立ち続ける限り、
自分に非は無く、他者が悪いという立ち場にしがみついていて、
毎日は、自分に非が無く、他者が悪いという事を証明し、
その証明に共感してくれる誰かを求める事に費やされます。
状況は改善しませんし、そもそも改善に向けた行動がとれません。
それが、悩みや不安にしがみついている状態、です。
悩む事、不安である事は、不快な状態であり、
不快、という感情はネガティブな感情です。
不快な感情に苛まれるのに、どうしてネガティブにしがみつき、不平不満に毒されて生きるのでしょうか。
それはネガティブには、報酬、があるから、です。
不快である代わりに、責任を取らなくて良い、という報酬です。
不平不満をぶちまけている間は、
非は穀潰しの夫や、非情な会社上層部にあり、
自分は、良妻賢母であり、善良勤勉な社員で居られて、
自分が置かれている現状の、責任の一切は他者にある、と思い込んでいられる、という事です。
責任を他者に押し付ける限り、人生は自分のものにはなりません。
何故なら、人生の責任の全てを負う事が、
自分として、自分の人生を生きる唯一の方法だからです。
責任を負ったなら、
人生の喜びも悲しみも、
全部、自分のもの、になります。
それが、活き活きと生きる、
という事だと思うのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム